2012年04月30日

ああ、そうだよ、30歳を過ぎてワーホリだよ


日本へ帰国する期間を当初の3ヵ月間の予定から無期限に延長をしたものの、やはり、新年の花火大会を見物したら僕は日本へ帰ることになりそうでした。
日本に帰らなければならない理由が見当たらないのと同じように、僕にはオーストラリアに残らなければならない理由がこれといって見当たりませんでした。
僕はもう十分にオーストラリアでの生活を満喫しました。
僕はあの悶々とした日々から抜け出し、自分が自分でいられるようになりました。
もう誰に何を言われても、ああ、そうだよ、僕は30歳を過ぎてワーホリに出かけたよ、でも、それは決して無駄なことではなかったよ、と胸を張って言えるのでした。

ルークにアパートの部屋を引き払う旨を打ち明けられた時は既に11月に入っていて、大家との交渉の末、僕らはクリスマス前に部屋を引き払うことになっていました。
アパートを出ていかなければならなくなったことを、僕はダニエルにもナミさんにも言いませんでした。
そう打ち明ければ、きっと2人は部屋を探し出すのを手伝ってくれたでしょう。
2人にはもうこれ以上迷惑を掛けることは出来ませんでした。
また、僕には2人とさようならをする心の準備もまったく出来ていなかったのでした。
僕は何もなかったように2人と食事をし、週末旅行の計画などを立てていました。

しかし、2人の話題が来年のことにおよぶと、僕は口をつぐむしかありませんでした。
仕事の契約期間が終わり無職となった僕に2人は言いました。

年末は仕事の募集はほとんど無いから、就職活動は年が明けてからだね。
それまでは、ゆっくりしてなよ。
次の仕事が決まったらさ・・・

2人は、僕がずっとここに残ることを前提に話をするのでした。
それは心地よいのと同時に、僕を少し悲しくもさせました。
僕は彼らの日常に浸透し、彼らの日常の一部になっていて、彼らの立てる来年の計画には僕が入っているのです。
僕は生返事をしながら、結局彼らに何も打ち明けられないでいるのでした。

ルークは僕のこれからのことを心配していました。
僕は彼に何の心配もいらないと伝えるのですが、アパートを引き払い僕が部屋を出ていかなければならなくなったことに彼は責任を感じてしまっているようでした。
僕は彼に言いました。

ちょうどいい機会だと思う。僕は日本に帰る理由を探してたんだ。
そもそも3ヵ月間のはずだったし。
オーストラリアに来て本当に良かった思う。ルークにも会えることが出来たし本当に良かった。

僕が気を使ってそう言っているのだと思っているのか、彼は僕の言う言葉に納得しない様子でしたが、専門学校に行くことにした彼のことを心から応援していると僕が伝えると、彼はようやく決心したように頷くのでした。
僕はそれを見て安堵しました。僕は、日本に帰る理由を探すのと同時にオーストラリアに残る理由も探している自分を彼に悟って貰いたくはなかったのでした。

僕は中途半端なまま、日本へ帰るための心の準備を始めなければなりませんでした。
十分に満喫したはずなのに、それでも後ろ髪を引かれるのは何故なのでしょう。
だからと言って、このままズルズルとここへ残っても仕方がないような気もします。
僕には、帰国するにしても、残るにしても、決定的な理由が無いのでした。
いっその事、誰かにこうしなさいと言われ、それに従うほうが余程楽のような気もしました。
流されるままに流されていたかったのですが、その流れはここへ来て滞留してしまったようでした。

その週末、僕はダニエルに手伝ってもらいたいことがあると言われ彼の家を訪れました。
彼の部屋は段ボール箱で溢れ、どうやら部屋の片づけをしているようでした。
僕は彼に指示されるまま、本やDVDなどを段ボール箱に詰め込み、彼の片づけを手伝っていました。

ゆうすけ、ちょっとこっちに来て。

ようやく一段落すると、ダニエルが僕を奥の部屋に呼びました。
その部屋は、以前僕が宿なしになった時に使わせてもらった部屋でした。その時は物置のように散らかっていたのですが、今はすっかりと片付いて、ベッドと机だけが置かれすっきりとした部屋になっていました。

手伝ってくれてありがとう。思ったより早く片付いたよ。
今日からここは君の部屋。好きに使っていいからね。

ダニエルは、どう?驚いた?というような得意気な顔をして見せます。
僕は何が起きているのか分らず、彼の言葉を待ちました。

ルークから聞いたよ。部屋を出るんだってね。
まさかもう日本に帰るつもりじゃないんだろう?まだ来たばかりじゃない。
ま、それは君次第だけどね。

生意気にもダニエルはまた僕にそんなことを言うのです。
僕はまた彼にしてやられました。

なんなんだよ、お前は一体・・・

そう思っても僕の目頭は勝手に熱くなり、僕はそれを言葉に出来ずに彼を小突くのが精一杯なのでした。

そして、この思いもよらなかった展開が、その後の僕のオーストラリアでの生活の流れを大きく変えてゆくことになるのでした。
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posted by ゆうすけ at 10:17| Comment(7) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

海外で自由な自分


契約期間が終了し、僕は初めての海外での仕事を終えました。
手許には十分な資金が残り、お金の心配をせずにシドニーで年を越せそうです。
僕は、ある種の達成感を味わっていました。達成感と呼ぶには些か大袈裟かも知れません。
それは、日本で働いていた会社をオーストラリアに来るために辞めた時に感じた疎外感や孤独感とはまったく異なっていて、僕に更なる自信と行動力を与えてくれるものなのでした。
僕には明確な目標がありました。それを成し遂げるために仕事に就き、働いて、そしてそれを成し遂げ仕事を終えました。
それは小さな目標でした。たかが1ヶ月半の仕事でした。しかし、目標を持たずに何年も働き続け、目標を持たずに会社を辞めた、あの時とは明らかに大きく違っていたのでした。

季節はもうじき夏になろうとしていました。
僕はようやくオーストラリアでの生活を人生の余暇として余裕をもって始められそうなのでした。
僕は何もしなくてもよい日々を、何も悩まずに過ごしました。
公園の芝生の上で本を読み、カフェでお喋り好きの店員の話を聞き、海沿いの道を夕方になるまで歩きました。
心に出来たゆとりと初夏の日差しは僕を陽気にさせました。僕は何事にも縛られることのない自分を好きになり始めていました。

しかし、そんな穏やかな日々はたいして長くは続きませんでした。
その夜、同居人のルークはそわそわして落ち着かない様子でした。
僕に何かを切り出そうとしているようなのですが、なかなか話し出しません。僕と目が合うと慌ててそらすのです。
いくら僕が、大丈夫?と聞いても、彼はぎこちなく、大丈夫だと答えるばかりでした。
彼の「大丈夫」の発音は、僕の穏やかな日々を不安で曇らせてゆくばかりでした。僕はそれ以上の詮索は止め、彼が自分から話し出すまでは放って置くことに決めたのでした。

実は・・・。

僕が寝るために自室に入ろうとしたその時、ようやくルークは僕に打ち明け始めたのでした。
彼は、これからとても嫌な話をしますが、怒らずに最後まで聞いて下さい、とでも言いたげなとても暗い顔をしていたので、僕は彼の話を聞かずに部屋のドアを素早く閉じてしまいたい衝動にかられました。

実は、専門学校に行くことが決まったんだ・・・。この間、君に話した例の設計の・・・。それでさ・・・。

専門学校に行くことが決まったのは喜ばしい話ではありませんか。彼が何故こんなに暗い顔をしているのか解せずに、僕はおめでとうの言葉をあと少しで飲み込んでしまうところでした。
僕は彼に、おめでとう、と言いました。しかし、彼にはそんなことはどうでもいいようなのでした。

それでさ・・・、お金を節約しなくちゃならなくて・・・実家で・・・。でも、君には・・・申し訳なくてさ・・・。

ルークはどうもはっきりとしませんでした。
また、大事なところはワザと早口や難しい単語を使って、僕に分からなくしているようでした。
僕は少しイライラしました。自分が落ち着くためと、僕がイライラしていることを彼に誇示するために、僕は両の腕を前で組み、鼻で大きくひとつ息をしました。
それを見たルークはついに観念したようなのでした。

ゆうすけ、ごめん。でも、この部屋を出てゆくことになった。

そう言ってルークは、固く目を閉じ、天井に顔を仰いで僕の反応を窺っているのでした。
僕は、その欧米人らしい芝居掛かった彼の態度がおかしくて、ことの重大さを逃してしまいそうでした。
つまり、ルークが賃貸契約を解約するとなると、彼の承認で住むことが許されている僕も、彼の賃貸契約を引き継がない限り、この部屋を退去しなければならないのです。
賃貸契約を引き継ぐことは僕には無理でした。僕は無職で、また、契約期間の6ヶ月は、年を越すことだけを考えていた僕には長すぎました。

でも僕には、そんなことより、ルークが専門学校に通うことに決めたことのほうが、よっぽど大事なニュースに思われました。
僕が何度も彼におめでとうを言い続けると、ようやく彼は暗い顔から笑顔になったのでした。

心配しなくても大丈夫だってば。

僕は乾杯のためのワインをグラスにつぎながら、彼の笑顔を保つようにそう言い続けました。
しかし、ことは果たしてそう簡単に運ぶのでしょうか。
僕は無職で部屋なしになるのです。
またふりだしに戻ってしまいました。

本当に心配しなくても大丈夫だってば。

今度は自分に言い聞かせるために、僕はまたその言葉を繰り返し口にするのでした。

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posted by ゆうすけ at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月26日

日本の味


オーストラリアへ来てから僕の食生活は当然がらりと変わりました。
高校を卒業して以来ずっと一人暮らしをしていた僕は、まったく料理が出来ないわけではありませんでしたが、やはり一人分の食事を毎日作ることはあまりしませんでした。
日本で生活をしていた頃は、仕事帰りにスーパーによって惣菜を買って帰ったり、定食屋さんに寄ったりして、栄養のバランスもそれなりに考えながら食事をしていました。
しかし、オーストラリアのスーパーには食べたいと思う惣菜もなければ、安くておいしい定食屋さんもありませんでした。
買ってすぐに食べられるようなものは、どれもこれも脂っこいものばかりなのでした。
年齢のせいでしょうか、20代前半までは毎日食べても飽きることのなかったハンバーガーやステーキなどの肉の塊りは、もう滅多に口にすることはありませんでした。
僕は昼食時に中華料理屋さんで食べた残り物を持ち帰えり、それを夕食時にも食べるというような生活をしていました。
たいしておいしいものではありませんでした。“これならまだ食べられる”という、その程度の味なのでした。

そんな僕をよそに、肉体労働をしている同居人のルークは毎晩のようにステーキを焼いて食べていました。
それでも、最近は健康に気を使っているんだと言って、焼いている肉は脂身の少ないカンガルーの肉でした。
カンガルーの肉がスーパーで売られているのを初めて見た時、僕は何かの冗談かと思いましたが、オーストラリアで害獣扱いされているカンガルーは常にその頭数を間引きされているそうで、その肉は豚や牛と同じように店頭に並べられ、ルークのような健康志向にある人によってステーキにされ食されているようなのでした。
ルークに一度分けてもらいましたが、決してまずいものではありません。しかし、その味や硬い肉質に慣れていないせいなのか、僕は再びそれを食べたいとは思いませんでした。

毎日まずいものを食べている僕を見るに見かねたのでしょう、新しく入ったあの少し騒がしい日本人の女性が、ある日僕にお弁当を作って持ってきてくれたのでした。
それは、ごぼうのきんぴらや、じゃこ入りの卵焼きや、ひじきの煮物などで彩られ、とても日本のお弁当らしいお弁当でした。
僕はそれをたいへんおいしく頂きました。

どうせ旦那にも毎日作らなきゃならないし、2つ作るのも3つ作るのも変わらないから、明日からゆうすけ君の分も作ってきてあげるわよ。

とんでもないと断る僕に、ガハハハ、いいのいいの遠慮なんて、と言って、その日から彼女は僕が退職する日まで毎日僕にお弁当を作ってきてくれたのでした。
どうやら、彼女はとても世話好きの人らしいのでした。
彼女はお昼のお弁当の他にも、夕食の分のおかずまで持ってきてくれたのです。
恐縮する僕に、冷蔵庫が片付いて本当助かるわ、と言って僕にお礼を言わせてくれませんでした。

考えてもみれば、高校を卒業して地方の大学へ進んで以来、僕は手作りのお弁当を食べたことがありませんでした。
万人受けするスーパーの総菜や定食屋で食べるご飯とは違い、彼女の作るお弁当やおかずは家庭の味がしみ込んでいて、どれもとてもおいしいのでした。

僕はカンガルーのステーキを焼き続けるルークをよそに、ふろふき大根や筑前煮などを温め直して夕食の準備をするようになりました。
珍しそうに鍋を覗くルークに少し分けてやるのですが、日本の味を知らない彼にはそのおいしさが分らないようでした。
しかめっ面をするルークを微笑ましく思いながら、僕は海外で10数年振りに日本の家庭の味を堪能していたのでした。

退職する日、僕は彼女にお礼としてチョコレートの箱詰めをプレゼントしました。
シドニーでおいしいと評判のお店で買ったものでした。
僕のほんの感謝の気持ちです。

嫌だぁ、こんなことしなくてもいいのに。でも嬉しい。

世話好きの彼女は、人から贈り物をもらうのにはあまり慣れていない様子でした。
彼女は周りの人達にもチョコレートを分けて廻り、結局彼女の取り分は一つだけになってしまったのでした。
それもとても彼女らしく、彼女のいいところです。
彼女と一緒に働いたのは、ほんの数週間でしたが、彼女は本当に僕によくしてくれました。
あけっぱなしの性格の彼女は、もう既に他の社員とも打ち解けていました。
その週の頭に産休から戻ってきた社員ともうまくやっているようでした。

僕はオーストラリアでの初めての仕事を終えました。
会社を去る僕の後ろから、ちゃんと食べるのよ、とのんきに彼女は声を掛けていました。
僕にはこれで彼女とお別れとは思えませんでした。
それほど彼女は見事に僕のうちに入り込んでいたのでした。
少し騒がしいけれど、やはり僕は彼女の性格がとてもうらやましいのでした。
新しいことにすぐに慣れてゆくことができるようになれば、きっと海外での生活もさほど苦労せずに馴染むでしょう。
僕はまだ、ルークのようにしかめっ面をしているようなのでした。
仕方ありません、僕はオーストラリアに来てまだ3ヵ月なのですから。

振り向くと彼女が大きく手を振っていました。
僕も彼女に大きく手を振り返しました。
僕はその時、彼女のその手によって自分が再びこの会社に連れ戻されることになるとは露知らずに、彼女に手を振り続けながらその場を去ったのでした。

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posted by ゆうすけ at 10:50| Comment(11) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月25日

日本人に意地悪な日本人


仕事を始めてから1ヶ月が経とうとしていました。
一緒に働いていた男の子は、その週で契約が終了することになっていました。
最初は憎たらしいと思っていた男の子でしたが、その頃にはだいぶ丸くなっていて、僕は彼との少ない共通点を繋げ合わせながら、それなりに彼とうまくやっていました。
未だにトゲを出すことも時折ありましたが、いくらトゲを出しても、僕が年上の余裕をもって彼を褒め殺すので、彼はトゲを出すのが馬鹿ばかしくなってしまったようでした。トゲを出せば出すほど、自分の未熟さを露呈していたのですから無理もありません。

正直、彼との別れはちっとも悲しいものではありませんでした。
お互いをギリホリ、バカホリと冗談に呼び合えるまでの仲にはなりましたが、彼は僕になんの印象も残しませんでした。恐らく僕も、彼にとってはただの通りすがりにすぎなかったと思います。
異国の地で出会った同胞だからといって、心が通い合うとは限らないのです。
僕はそれを少し残念に思いました。そしてそれが、去り行く彼に対して僕が持つ唯一の感情なのでした。

彼が去るその週には、新入社員がやってきました。やはり日本人でしたが、彼女は僕ら契約社員とは違い、正社員として雇用された人でした。
40代半ばくらいでしょうか。オーストラリアへ来て12年、それまではニュージーランドに8年住んでいたそうです。
彼女はとてもあけっぱなしで、初対面の僕らに十年来の友達のように話しかけていました。
悪く言えば「騒がしいおばさん」なのですが、プライベートのラインはしっかりと守っていて、土足で話し相手の領域に踏み込んでくるようなことはなく、とても気持ちのいい騒がしさなのでした。
海外での経験が豊富な彼女の話は、面白いのと同時にたいへん興味深く、とても勉強になりました。
僕は彼女のことをすぐに気に入りました。

しかし、やはりと言うべきなのでしょうか、側で僕と彼女のやり取りを黙りして窺っていた男の子は、彼女のことをあまり良く思っていないようでした。
彼女の日本人離れした態度を見て、どうやら彼は、彼女のことをただの「ガサツなおばさん」と捉えてしまったようなのでした。
それ以降、彼は僕と彼女の話には参加せず、PCの画面に顔を向けたままでした。

やれやれと思いながら、僕は彼を放っておきました。また彼も放っておかれたかったのでしょう、終業時間まで黙り込んだままで、時間になると漠然とした挨拶を言ってすぐに帰ってしまったのでした。
僕は肩をすくめるしかありませんでした。

彼のその態度は、結局、彼が退職する日まで続きました。
彼女が来てから、僕は男の子のつまらない自慢話にはあまり耳を傾けませんでした。また、彼をベタ褒めすることは減り、海外でいろいろな経験をしている彼女の楽しい話を聞いてばかりいました。

まったく社交辞令的に「お世話になりました」と最後に言う彼を見ながら、僕はやはり彼と打ち解けきれなかったことを残念に思うのでした。

彼は年の離れた2人の話題には入れませんでした。
彼の豊富なIT知識は、多くの経験を積んでいた2人の注目を彼に向けさせるほどのものではありませんでした。

会社を去る彼の後姿は、改めて僕に彼のことを、また、大人になりきれず彼に対して意地の悪かった僕自身のことを残念に思わせるのでした。

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posted by ゆうすけ at 16:37| Comment(2) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月24日

日本との別れ


オーストラリアへ来てから素敵な出会いがいくつもありました。
空白だった僕の携帯電話のアドレス帳には、新しく出会った人の名前がどんどん登録されてゆきました。
街を歩いていて、知り合いに偶然出くわすことも起こるようになりました。
そのほとんどはダニエルに紹介してもらった人達です。
もしあの日、僕がプールに泳ぎに行かなければ、僕はダニエルにもこの人達にも会うことはなかったのです。そう思うと、僕は不思議な気持ちなりました。
オーストラリアへ来てまだ3ヵ月足らずの僕は、ダニエルに助けてもらいながら急速に人脈の輪を広げていったのでした。

僕の日常は、当然ながら日本を離れる前のそれとはがらりと変わりました。
新しい友人らは週末ごとに僕を誘い出しては僕の知らないところへ連れて行き、そのたびに感嘆の悲鳴を上げる僕を見て楽しんでいました。
僕の目の前には、それまで経験したことのない新しいことばかりでした。
新しい土地、新しい習慣、新しい食べ物、そして、新しい自分。

ただ残念なのは、それらの新しい発見を僕と同じ立場になって一緒に分かち合ってくれる人が側にいなかったことでした。
僕は成田空港で別れたあの人のことを思っていました。

その人とは、僕がオーストラリアに来てからもメールで連絡を取り合っていました。
唯一僕が日本について気がかりにしていたのは、その人のことでした。
しかし、その頃になるとメールのやりとりはかなり減ってしまっていました。
僕からは定期的にメールを送っていたのですが、その人からの返信は遅れたり届かなかったりしていたのです。
そしてついにある日、僕の送ったメールは送信エラーのメッセージとともに戻ってきてしまったのです。
僕はメールアドレスの入力ミスと願いました。けれど、いくら再送しても僕のメールは戻ってきてしまうのでした。

これじゃ、ゆうすけが日本にいた時と何も変わらないね。

まだ僕らがメールを頻繁にやりとりしていた時に、その人が僕に宛てたメールです。
僕はそのメールを読み返しながら、急に一人ぼっちになってしまったような気がしました。
そして気付くのです。
その人の日常は、僕が成田空港を去った後も何も変わっていなかったのだと。
僕が目の前からいなくなっても、その人は同じ生活を続けなければならなかったのです。
僕には新しい生活がありました。毎日が忙しく、その人のことより、新しくできた友人らや自分のことばかりにかまけていました。
その人は、僕の去った成田空港で送信エラーを受け取った時の僕のように一人ぼっちになってしまったと感じていたのかも知れません。

僕はもちろんその人を責めることは出来ませんでした。
何も言わずにメールアドレスを変えるのもその人らしいし、そこも僕の好きなところでした。
けれど僕はとても寂しいのでした。
僕は大切な人を失ったのです。
お守りのブレスレットは、あの日から僕の左手首についたままです。

僕はその人を失い、日本へ帰る理由をもまた失ってしまったのでした。

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posted by ゆうすけ at 10:57| Comment(8) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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