2012年05月31日

初出勤と憂鬱


初出勤の朝、僕はラッシュ時の人混みの中にありながら、自分だけが別世界にいるような感覚を味わっていました。
僕は人の流れの外で、一人独立して乗換駅の構内を彷徨いました。僕の耳はとても遠く、喧騒は僕の耳には届きません。
開かれた電車の扉に人々が群がります。それは、まるで角砂糖を見つけて我先に餌にありつこうとするアリの大群のようでした。

僕は気後れしながらも、そんな彼らの後について電車の中に乗り込みました。
日本の電車とは違い、そこには電車の乗り方のルールは確立されていないようでした。扉のすぐ側で動かずにじっとしている人たちが、これから乗り込もうとしている人たちの邪魔をします。電車の奥にはまだまだ余裕があるにも関わらず、多くの人たちが扉の側で止まるのです。
僕は彼らの合間を気を付けながら通り抜け、電車の奥へと移動しました。
それまで日本時間に合わせて働いていた僕にとって、通勤ラッシュは日本を離れて以来経験することでした。

電車はゆっくりと進みました。
次の駅ではたくさんの人が降りました。通路の真ん中に立っていた僕の前後左右を人々が通り抜けて行きます。
人の流れが止まると電車は再び走り出しました。
間もなくすると電車は地下から抜け出し、車内が一気に明るくなりました。。
橋の上を電車が通ります。オペラハウスが窓の外に見えました。
僕は自分がどこへ向かっているのかも忘れ、朝日に輝く湾の上に建つオペラハウスを眺めていました。

しばらくすると、僕の降りるはずの駅に到着しました。
僕はプラットホームに降り立ちました。僕が改札へ通ずる階段を探し一瞬足を止めてしまったため、誰かが僕の後ろからぶつかってしまいました。僕は彼に謝り、そしてようやく僕の耳はよく聞こえるようになったのでした。

ピーッ!!!

駅員が笛を鳴らします。それを合図に扉は閉まり、電車はゆっくりと走り去りました。
僕は、徐々に自分が社会の歯車になりつつあるのを感じていました。
僕は周囲の人たちと同じ速度で歩き出し、改札口へと向かいました。一歩進むごとに僕の中のネジは締め付けられてゆくような気がします。そして、オフィスに辿り着く頃には、すっかりと僕は社会人の顔をしていて、元気よく初めて会う同僚らに挨拶をするのでした。

僕の働くフロアーはとても広く開放的で、大きな窓からはシドニーの中心部にある高いビル群が遠くに見えました。
銀行とはいうものの、僕の部署は行内向けのIT部に所属するため、オフィスの雰囲気は他の会社と変わらず、堅苦しさは少しも感じられませんでした。ただし、銀行と言うだけあって、セキュリティー面では他の会社よりも厳しいようでした。
どこへ行くにもセキュリティーカードが必要であったし、インターネットにも厳しい制限が掛けられているようなのでした。

僕はアジア太平洋地域を担当するチームの一員です。その銀行の支店は世界各国の主要都市にあり、そのすべての支店および本店のIT関連をここシドニーにあるIT部がサポートするのでした。
アジア太平洋地域を担当するチームの他に、夕方にはヨーロッパ地域を担当するチームが出勤し、夜にはアメリカ地域を担当するチームが出勤するようになっていました。

その日から、さっそく僕の研修は始まりました。
ヘルプデスクの仕事とは違い、電話依頼はなく、すべてシステム上で処理をしてゆく仕事です。
複雑なシステムの数々を僕はノートにメモを取りながら学んでゆきました。
日本語担当として雇われた僕は、てっきり日本語ですべてを対応するのだろうと思っていたのでしたが、どうやら銀行内の公用語は英語に統一されているらしく、東京支店とのやりとりもシステム上ではすべて英語での処理になるようでした。
日本語を使うのは、時々受ける電話やメールでの問い合わせ時だけのようなのです。

僕に出来るのかな・・・。

正直、僕はそう思っていました。
研修すら英語で行われ、僕は既にいっぱいいっぱいだったのです。

研修の他に、僕にはもう一つ行わなければならないことがありました。
それは労働ビザの申請です。
その銀行が契約しているビザコンサルタントの会社から、僕は一通のメールを受け取っていました。そのメールにはこれから僕がやらなければならないことが箇条書きされていました。
申請書に必要事項を記入することや、パスポートのコピーを用意すること、そしてビザを取るための健康診断を受けることです。

健康診断

僕はその言葉を目にして憂鬱になりました。
僕はそれまでの人生、健康診断をなるべく避けて過ごしてきました。
何故なら、僕は心臓にある障害を持っていたからです。
その障害のため、僕はそれまで色々なことを諦めてこなければなりませんでした。
生まれつきその障害を持っていた僕は、幼い頃よりどの健康診断にも引っ掛かり再検査を必要とさせられました。
けれど、過去に臨床例のないとても珍しいその障害は、再検査をしたところで、医師たちには何も分らないのです。
そして、医師たちは口を揃えて言うのです。

念のため、やめてください。

僕は小学校のプールにも、中学校のプールにも入ったことがありませんでした。
毎冬行われるマラソン大会もいつも見学でした。

何かおかしいと思うことはありますか?

医師たちは僕に聞きました。
けれど、生まれつきこの心臓で生きてきた僕にとって、何を持って“おかしい”というのかが分らないのです。
僕はいつの頃からか、病院に行くことが嫌いになっていました。
20歳を過ぎ、全く問題もなく周りの人達となんら変わりもない生活をしていた僕は、水泳を始めました。
ジョギングも始めました。それまで禁止されていたことをすべて始めました。
それから10年。僕は風邪すら引くこともなく、とても健康に毎日を過ごしていました。

おそらく、この健康診断も間違いなく引っ掛かることでしょう。
そして、僕は再検査をさせられ、医師からこう言われるのです。

念のため、やめてください。

そして、事は僕の恐れている方へと進もうとしていたのです。

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2012年05月30日

至れり尽くせりのサービスに慣れた日本人


いくつもの過程をなんとかクリアし、ようやく就職が決まった僕は、その週末の朝、最後の無職生活を満喫することに決め込み、ベッドの中で惰眠を貪っていました。
9時過ぎになると、ダニエルのかけたMr.Childrenの曲が部屋の扉の向こうから聞こえてきましたが、僕は布団を頭からかぶり、頑固としてベッドから起き上がろうとはしませんでした。
就職活動のために使い過ぎた頭は休むことを忘れてしまったのか、僕の意思に逆らってこれからのことをいろいろ考え出そうとします。それを止めさせるべく、僕は何度も寝返りを打っては、浅い眠りの中にいつまでも残ろうとしていたのでした。

ゆうすけ!ゆうすけ!

夢の中で誰かが僕の名前を叫んでいます。
その声は次第に大きくなり、そして僕はハッとして目を覚ましたのでした。目を開けると、僕を覗くようにダニエルの顔がそこにはありました。てっきり週末だと思い込んでいたその朝が、実は初出勤の日である月曜日だと気付くのにそう時間は掛りませんでした。僕は慌ててベッドの脇の時計を確認しました。既に11時近くです。僕は自分の犯した過ちを棚に上げ、それまで起こしてくれなかったダニエルをもうすぐで恨むところでした。

ゆうすけ、ほら、起きろよ。飲茶に行きたいって言ったのは君だろう。

睨みつけるように見上げる僕に、ダニエルはそう言うのです。
一瞬、僕は彼が何を言っているのか理解しませんでした。そしてようやく自分が寝ぼけていたことに気付いたのでした。
その日はやはり土曜日で、僕はその数日前から友人らに飲茶に行きたいと申し出ていたのでした。
僕の頭は本当に疲れているようです。
訝しげに僕を見つめるダニエルに詫びを入れ、僕は急いで出掛ける支度をしました。

まずい食事を提供するオーストラリアのレストランの中で、唯一飲茶だけは納得して代金を支払うことの出来る食べ物でした。
また、ダニエルをはじめ中華系の友人らと行く飲茶は、本当においしい物だけを食べることが出来るので、僕は彼らと行く飲茶をいつも楽しみにしていたのでした。

中華街にあるそのレストランは12時を過ぎると長い列が出来るほどの人気店でした。
店内はたいへん広く、レストランの従業員らがシュウマイやら中華ちまきやらを乗せたワゴンを押しながらテーブルの合間を行き交います。
先に着いていた友人らと合流し、僕とダニエルはその大きな円卓に着席しました。
飲茶の食べ物に精通しない僕と白人の友人らは、中華系の友人らにすべてを任せ、彼らの選んだものをつっついて食べるのです。

これ旨い!

僕は、小学校の給食以来食べることのなかった揚げシュウマイを口にしながらそう言いました。
白人の友人らも満足している様子です。
すると、すかさず中華系マレーシア人の友人が溜息をつくように僕に忠告するのです。

ゆうすけ、それさ、ここにいるお馬鹿な3人の白人用に取っただけだから、無理して食べなくてもいいよ。

その言葉に僕はどきりとしましたが、3人の白人の友人らは大笑いしました。
僕は意味も分らずキョトンとするばかりでした。
そしてダニエルが僕に説明してくれたのです。

揚げ物は白人客用に用意されたもので、アジア人はほとんど食べないんだよ。

なるほど、そう言われてみると、白人だけが座っているテーブルの上には揚げ物ばかりが並んでいるようです。そして、アジア人だけが座るテーブルの上には揚げ物は見当たりません。
ダニエルによると、その他にもレモンチキンやモンゴリアンビーフという食べ物は白人用に作られた中華料理らしいのでした。

ゆうすけは、中華料理で何が一番好き?

そのマレーシア人の友人が僕にそう尋ねるので、僕は少し考えてから、エビチリかな、と思い、それを英語で何と言うのか分らなかったので、紙ナプキンの上に漢字で「干焼蝦仁」と書きました。確か、味の素のCookdoのパッケージにはそう書かれていたように思われたのです。
すると、そこにいた中華系の友人らが一斉に、何それ?と言うのでした。
みんな意味は分るようなのですが、それがどういう食べ物なのかが分らないようなのです。
どうやらエビチリは日本人用に作られた中華料理のようなのでした。

日本人も白人と一緒か・・・。

そのマレーシア人の友人が冗談にそう言って、白人らを笑わせました。

ところで、仕事決まったんだって?

誰かがしたその質問に僕が頷くと、僕はみんなに、おめでとうを言われました。
そして、僕は自分が働くことになった銀行のことやその部署のことを説明したのでした。

それにしても、どの企業にも日本人専用のチームがあるけれど、あれってどうしてなんだろうね。

白人の一人が不思議そうにそう言って腕を組みました。
彼によると、大抵の国では英語での対応が基本で、その国の言葉を話す専用のチームはそんなに多くはないそうなのです。
確かに、求人サイトで「日本語」で検索すると、日本人専用のチームの人材を探している求人広告を多く目にしていました。

日本人は白人よりうるさいからね。その干焼蝦仁とやらと一緒なんだよ。

誰かがそう言いました。
そして、僕もそうかも知れないと思うのでした。
至れり尽くせりのサービスに慣れ切った日本人は、常に最上のサービスを求めています。そんな彼らに行き届いたサービスを提供できるのは、例えそれが世界の基準から外れていようが、やはり同じ日本人だけなのかも知れません。
エビチリは中華料理ではありません。しかし、多くの日本人は中華料理だと信じています。至れり尽くせりのサービスも、彼らは世界標準だと信じているかも知れないし、もしそうでなくても、それを世界標準にするべきと考えていることでしょう。
世界の標準的な全く行き届かないオーストラリアのサービスに慣れてきた僕は、そう聞かされると、そんな場所で働くのがほんの少し嫌な気持ちになるのでした。

ゆうすけ!ゆうすけ!

誰かが遠くで僕の名前を叫んでいます。
ふと我に返ると、訝しげのダニエルが僕のすぐ隣で片手を出して僕の名前を呼んでいたのでした。どうやら清算のため僕がお金を出すのを待っていたようなのです。

ゆうすけ、今日は朝から変だよ。

僕からお金を受け取ると、ダニエルはそう言ってみんなから集めたお金を数え出しました。

僕の頭の中は、それまでの面接の疲れと、これからのことを考える疲れからぐちゃぐちゃになっていました。
そして僕は、その翌週からいよいよ働き出し、更に僕の頭をぐちゃぐちゃにする労働ビザの問題に直面することになるのでした。

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2012年05月29日

最終面接


第二次面接ですべてが決まると勝手に思い込んでいた僕に、第三次面接の案内がメールで届きました。
面接で尋ねられるであろう質問は第二次面接の準備として書き出しており、そしてそれらの多くは既に第二次面接時に尋ねられていたので、僕には第三次面接で何を尋ねられるのかまったく見当が付きませんでした。
電話で日本語の程度を確認され、オンラインで適性検査を受け、第二次面接ではたくさんのことを質問されました。
他に僕から何を引き出そうというのでしょうか。
以前そこで働いていたことのあるナミさんですら、第三次面接の話をすると驚いていました。部署は違うにしろ、彼女が採用された際の面接は、たった一度きりだけだったそうです。

面接官が変わるだけで、同じ質問を繰り返されるだけだと思う。

ナミさんをはじめ、僕の友人らは口を揃えてそう言いました。
だったら第二次面接だけで決めてくれてもいいのに。
僕はその採用過程にまどろこしさを感じていました。

僕はそれまで、欧米社会での採用過程はもっとシンプルなものだと考えていました。僕が観た映画に出てくる面接の場面は、いつだってシンプルなものでした。たいてい将来の直属の上司が面接官で、面接をする場はオフィスの一角にあるその上司の個室です。求職者は足を組みながら自分をアピールをし、渋る上司を自分の夢をもって説得するのです。そして採用はそこで即決するのです。
しかし、どうやらそれは映画の中だけの話で、実際には日本の採用過程とさほど変わらず、採用されるまでにはいくつもの面接をクリアしてゆかなければならないようなのでした。
僕は、第二次面接の際に準備しておいたものを少しおさらいし、第三次面接に挑みました。
早く終わらせたいとの思いが強く、僕は緊張も興奮ももうしていませんでした。

受付で待っていた僕を迎えに来た人事の女性は、僕を小さな会議室に案内すると、これで最後よ、と片目を瞑ってそっと僕に教えてくれました。すっかり落ち着いてしまっている僕を見て、彼女は僕が早くこの面接の数々を終わらせていましたいと願っているのを悟ったのかも知れません。または、彼女自身も面接が多すぎると思っていたのかも知れません。
どちらにせよ、彼女のその言葉は僕を十分に安心させたのでした。

お待たせ。君がゆうすけだね。

暫くすると、一人の白人男性がその会議室に入って来ました。第二次面接では見なかった人です。
僕が立ちあがって挨拶をしようとすると、彼は、いいから、いいから、と片手で僕にそのまま座っているように合図しました。

うん、それで、今度の月曜日の午前9時からで大丈夫かな?ネクタイは付けてこなくていいからね。

突然そう切り出した彼に、僕は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたに違いありません。
僕は何と応えてよいのか分らず、えっ?と聞き返してしまいました。

あー、ごめん、ごめん。僕のチームで是非、君に働いて貰いたいと思うので、この後、人事と手続きをしてから帰ってください。

この白人男性は、どうやら僕に、僕が採用されたことを告げているようなのですが、“第三次面接”を受けるつもりでその場所に訪れていた僕には、彼の言葉を理解するまでに少し時間が掛ったのでした。

君の元上司とも電話で話させてもらったけど、君のことを褒めていたよ。履歴書には日本語のみのサポートって書いてあったけど、英語でのサポートもしていたそうじゃないか。

第二次面接の際、人事の女性から誰か僕のことを推薦出来る人が必要だと言われ、僕は以前ITヘルプとして働いていた化学薬品メーカーのマネージャーの名前を挙げていました。その彼が僕のことを褒めておいてくれたようなのです。
僕はようやく自分が採用されたことを理解し始めました。第三次面接と知らされていたものの、実際には、僕の直属の上司になるこの白人男性との顔合わせに過ぎなかったのです。
僕の顔に笑みが浮かびます。僕は採用されたのです。僕は心の中で、よっしゃー、と叫んでいました。

一通り自己紹介的な挨拶が済むと、僕の上司となるその男性は退室し、代わりに先ほどの人事の女性が会議室に入って来ました。
だから、これが最後よ、って言ったでしょ。彼女は悪戯っぽく僕にそう言うと、いろいろな資料をテーブルの上に並べ始めました。
直接雇用ではなく派遣会社を通して働くと聞いていたのですが、彼女の広げた資料は直接雇用に関するもののようでした。
不思議がる僕に彼女は詳しく説明をしてくれたのでした。

とりあえず、僕は派遣会社と契約を結び、派遣会社を通して働き出します。
しかし、ワーキングホリデーのビザしか持たない僕は、同じ雇用主のもとで働ける期間は限られていました。また、その時点で僕がオーストラリアに滞在できる期間は残り4ヵ月ほどでした。
なので、派遣会社を通して働いている間に直接雇用に移る準備をするのです。
つまり、ワーキングホリデーのビザから労働ビザに切り替えるための準備を今から始め、労働ビザが下りた時点で派遣会社との契約を打ち切って直接雇用に移るというのです。
これは派遣会社とは合意がなされているそうで、労働ビザが下りるまで4週間ほどを見込んでいるということでした。

僕は他人事のようにその説明を聞いていました。
採用されたというだけで、僕は十分に満足していたので、これから先のことをあまり考えることが出来ずにいたのです。
労働ビザなんてそう簡単にすぐに下りるものなのだろうか、とぼんやりと考えるのが僕には精一杯なのでした。

その帰り道、僕は大きな波に乗れたことを喜んでいましたが、それと同時にその波の大きさに不安を感じ始めていました。
あと4ヵ月ほどで有効期限の切れるワーキングホリデーのビザが労働ビザに切り替えられようとしていました。
オーストラリアに残れることが出来そうなのは嬉しいのです。しかし、僕はの胸中は複雑なのでした。
僕は胸に爆弾を抱えていました。まだ誰にも言っていないその爆弾が、僕の行く手を阻もうとするのです。
そして、僕は既に労働ビザの取得すら諦める覚悟をしていたのでした。

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2012年05月28日

第二次面接の結果


第二次面接の結果は一週間のうちに出るはずもなく、面接の翌日から僕の生活はまたいつもの通りに戻ったのでした。つまり、何をするでもない生活が続いたのです。
オーストラリアに来てから出来た友人らは、当然、平日の日中は働いていましたし、あの水泳のインストラクターも、午前から語学学校に通い、午後はアルバイトで忙しくしていました。なので、僕は一人で暇な時間を潰さなければならなかったのでした。

少しやり過ぎてしまった感のあるあの第二次面接のことを、僕は反省していました。
面接中、僕は自分の用意した“台本”の台詞を読んでいただけでした。自分の言葉で話したのは最初と最後の挨拶くらいなものでした。
暗唱しているとバレないように十分気を付けていたので、面接官らには、僕はある程度英語の話せる日本人と映ったかも知れません。
しかし、それは僕であって本来の僕ではないのです。
僕は実力以上の自分を演じた後で、実力のない本来の自分を少し惨めに、そして恥ずかしく思っていたのでした。

暇な時間を僕はプールで泳いだり、公園やカフェで本を読んだりして過ごしました。
面接の結果は、もうどうでもいい。
僕は早く面接のことを忘れたいとすら思っていました。

その日も僕は、近所のカフェでコーヒーを飲みながら本を読んでいました。
ポッツポイントという地域にあるそのカフェは、週末ともなると空席を見ることがないほどの人気店なのですが、平日の昼間はとても静かで、僕は無職の特権を活かして、その店でダラダラと時間を過ごすのでした。
僕は店内を一望出来るいつもの“自分の席”に陣取り、本を読むのに疲れると人間観察を始め、また、それに飽きると本に目を戻すということを繰り返していました。

その日は、僕の他に3組の客が店内にいて、僕は彼らに気付かれないように一組ずつ観察してゆきました。
シドニーでも比較的お洒落な人達が集まるこの地域は、お洒落に敏感なゲイの人達が多く、その3組のうちの2組はゲイのカップルのようでした。
男臭くなり過ぎない程度に、男性のセクシーさをアピールする彼らの美意識にはいつも感心させられてしまいます。ゲイに限らず、この国では、可愛らしさよりも、決して嫌らしくはない大人の健康的なセクシーさが男女を問わずお洒落の要素に取り込まれていることが多いようです。

洗練された雰囲気を醸し出している2組のゲイカップルとは対照的に、その奥には先ほど来たばかりの少し野暮ったい格好をした中年の男性と女性が一緒に座っていました。
2人ともくたびれたスウェットパンツに、これまたくたびれたTシャツを身につけていました。ジョギングを終えたばかりなのでしょうか。2人の身体からは汗の臭いがしてきそうでした。その豊かな身体のサイズには窮屈と思われるTシャツを着ている男性は、静かな店内でガヤガヤと大きな声で話し出しました。
僕はそれを残念に思い、カバンの中にヘッドフォンを探しました。聞くに堪えられない喧しさです。
僕はカバンの中に手を突っ込みヘッドフォンのコードを手繰りました。すると、隣のテーブルにいたゲイのカップルの一人がぼそっと彼の連れに言ったのです。

ラッセルじゃない?

僕はカバンの中で動かしていた手を止めました。そして、もう一度、奥に座る中年男性に目を向けたのでした。
僕は自分の目を少し疑いましたが、その中年男性は、どうやらあの有名な映画俳優らしいのです。
スクリーンの中ではあんなに男らしくセクシーであるはずなのに、そこにいる彼にはその面影の微塵もありません。
僕は益々残念に思うのでした。

僕はヘッドフォンを耳に当て残りのコーヒーを一気に啜りました。
そして、僕は席を立ちました。
その時、映画俳優がこちらにちらりと目を向けたので、一瞬僕と目が合いました。
僕はどきりとしました。何故なら、映画に見るあの鋭い彼の目つきを、僕はその時見たような気がしたからです。
僕はそのまま逃げるようにして店の外に出ました。

家までの道、僕は彼の顔を思い出していました。
彼の映画の顔。彼のカフェの顔。
そして僕は思いついたのです。
そもそも英語は僕にとって台詞のようなものでした。
参考書にあったフレーズや誰かが言っていたフレーズを僕は繰り返し口にしているだけでした。その繰り返す回数が増えて、今ではすっかり僕の言葉のようになってしまっていますが、もともとは誰かが用意した台詞のようなものだったのです。
“ハロー”や“サンキュー”ですら最初は僕には何の意味も持たなかった単語だったのです。それを毎日言っていたら、そのうちに意味をもつようになり僕の言葉になったのです。
面接では、僕は慣れないフレーズを多用しましたが、それらだってこれから何度か使えばすぐに僕の言葉になるはずです。
何も反省することも恥ずかしがることもないではないですか。
映画俳優のあの鋭い目つきが、僕に気にすることはないと言っているように思われました。
今はまだ、スクリーンの中で台詞を言うように英語を話してしまっていますが、数をこなせばカフェでお喋りをするように自然と話せるようになる気がするのです。
僕は急に面接の結果が気になりました。

僕は今にも駆け出しそうにして家に戻りました。
家に着くとすぐにPCを立ち上げ、面接の結果がメールで届いていないか確認しました。
そして僕は1通のメールを見つけ、それを開いて愕然とするのでした。

第三次面接のお知らせ

僕は第二次面接をパスしたことを喜ぶことも出来ず、いつ終わるか見えてこないこの面接の多さに溜息をつかずにはいられないのでした。

そしていよいよ第三次面接(最終面接)が始まろうとするのでした。

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2012年05月25日

第二次面接を終えて


面接会場からの最寄り駅には、約束の時間より少し早めに着きました。
仕事を終えたばかりの人達で駅前の広場は混雑していて、僕は人の波に逆らいながら前へ進むのでした。
広場の中心には噴水があって、流れる水は夕日に照らされきらきらと光っていました。一人の小さな女の子がそれを不思議そうに眺めているだけで、ビジネスシャツを着た大人達は誰一人として噴水に気をとめることなく駅へと吸い込まれてゆきます。
まだ時間に余裕のあった僕は、近くのベンチに腰を掛け、そこで時間を潰すことにしました。

前の晩になかなか寝付けなかった僕に軽い眠気が襲います。
面接会場からの最寄り駅に来ただけで、僕は既に面接を終えた気になってしまいそうでした。それは、参考書を買っただけで、既に勉強をした気になっいる受験生の気持ちと似ているのでした。
僕はベンチの上で大きく伸びをしました。
そして、ふと気付くと、先ほどの女の子の回りに、それまでになかった人だかりが出来ているのでした。
女の子が噴水のへりに立ってフルートを演奏し出したのです。
彼女の母親でしょうか。少女のすぐ側で彼女がバランスを崩して水の中に落ちない様に片手で彼女の腰を支えています。
大人達は、その女の子の奏でるあやふやなフルートの音色よりも、一生懸命に演奏する彼女の可愛らしい姿に惹かれて人垣を作っているようでした。
一曲目の演奏が終わり、女の子は自分の両膝をかくんと曲げて聴衆にお辞儀をしました。
その愛くるしさに、大人達が歓声を上げます。
僕の顔にも自然と笑みがこぼれます。
彼女は自分がどんなに可愛らしいのかを知らずに、恥ずかしそうにその歓声に頬を赤く染めました。
そして、その照れた顔が益々大人達の感嘆を誘うのでした。

面接の時間が近づいた僕は、もう少し彼女を見ていたいという気持ちを抑えて、その駅前広場をあとにしなければなりませんでした。

面接会場のビルの受付で人事の担当者を待つ間、僕は女の子の演奏を思い出して微笑ましい気分になっていました。
夕日に照らされ綺麗なだけの噴水の水には見向きもしなかった大人達。そんな彼らの気を惹いた、あの女の子の一生懸命な姿を思い出していたのです。

よくお越し下さいました。こちらへどうぞ。

僕は人事の担当者に案内されるまま、大きな会議室へ入りました。
いよいよ舞台の幕が上がりました。
会議室の中央に椅子が一つ置かれています。どうやら僕が座るべき椅子のようです。その椅子から少し離れた前方には会議用の長テーブルが置かれ、先ほどの人事の担当者の他に2人が席に着いていました。

どうぞ、おかけください。

それを合図に、僕は会議室の中央に進み椅子に腰を掛けました。
僕は3人の面接官らを前に見据えます。
中央に座る白人男性がその部署のマネージャーのようで、彼の両隣りに座る2人は、電話面接の際に話した日本人女性と人事の担当者でした。
3人とも終始笑顔で、その笑顔は僕を落ち着かせるのと同時に、この面接の場が応募者を傷つけようとして設定されたものではなく、応募者が自由に話しても安全な場であるということを示唆しているようでした。

面接は僕のシナリオ通りに進みました。
職歴を聞かれ、そこでどんなことをしていたのか、また、ナミさんが教えてくれていたあの質問も尋ねられました。今までの仕事で困難であったことと、その対応と結果、また、そこからどんなことを学んで、今どう活かされているのかを尋ねられたのでした。
その他に、来豪した目的も聞かれました。
語学学校に通っていなかった僕は、英語を学びに来ましたとは言えませんでした。また、もし仮に英語を学びに来ていたとしても、僕にはそれを正直に話すことは考えられませんでした。何故なら、英語がある程度話せることを前提として応募しているからです。
僕は、「移民大国であるオーストラリアは、いろいろなアクセントの英語を話す人達がいると聞いていたので、自分の英語力に磨きをかけるには絶好の場と考えました。また、一つの国に居ながら多くの異文化とも接触できることはたいへん魅力的で、それを楽しみに来豪しました」と話しました。
その答えが、どう彼らに聞こえたのかは分りませんが、中央に座るマネージャーは興味深そうに僕の話を聞いていました。

尋ねられた質問はすべて予期しておいたものばかりだったので、言葉に詰まる必要はありませんでした。しかし、僕は質問に答える前に、考える振りをしたり、これで質問の答えになるかどうかは分らないのですが、という嫌らしい前置きをしたりしていました。
実際には、前もって丸暗記しておいたことを単に暗唱しているだけでした。しかし、ずる賢い僕は、一生懸命に答えている振りをしていたのでした。
面接の間、僕は頭の片隅で、あの女の子はまだフルートを吹いているのだろうか、とずっと考えていました。

これで以上です。

人事の女性がそう告げて第二次面接は終了しました。
僕は席を立ちました。
すると、日本人の女性が思い出したように僕に英語で尋ねました。

ナミさんとはお知合いなんですか?

僕は、また驚いた振りをして、ナミさんをご存じなんですか?彼女にはいつも親切にして頂いています、ととぼけるのです。
嫌らしい大人です。
僕はあの女の子のように純粋には演奏できません。すべて計算づくでしか演奏できないのです。

それでは、後日連絡致します。

僕は面接官らにお礼を言って、そのビルをあとにしました。
僕は急いで駅前広場へ戻り、あの女の子の姿を探すのでした。
しかし、人だかりもあの女の子の姿も、もう見当たりませんでした。
僕は先ほどと同じベンチに腰を下ろしました。
僕は疲れていました。面接が終わり安堵したせいもあるのでしょう。肩の力がすっと抜けてゆきます。
お腹も急に減り、これから電車に乗って家に帰ることすら億劫に感じられます。

駅の改札口の近くに小さなマクドナルドのお店が見えました。
僕は重たい腰を上げてそのカウンターの前の列に並びました。
僕の前には5組ほど並んでいました。そして、僕はその列の一番前に、あのフルートの女の子と彼女の母親の姿を見つけたのでした。
女の子はカウンターに両手でつかまり背伸びをして店員さんに注文しているところでした。
彼女は注文をし終えると、母親から渡された小さな籠の中から小銭をつかみ取り、それを掌に広げて店員さんに見せるのでした。
その小さな籠は、フルートを演奏する彼女の前に置かれていた、聴衆からの小銭を集めるたのものでした。
店員さんは勘定の分だけの小銭を女の子の小さな掌から拾い上げました。
そして、清算の済んだ女の子は満足そうに振り返り、それと同時に、彼女の肩に被さった長い髪の毛をうっとうしそうに持ちあげながら、掌に残った小銭をまるで汚いものを投げ捨てるかのように元の籠の中へ戻したのです。
それは、先ほどまで噴水のへりでフルートを演奏をしていたあの愛くるしい仕草とは異なり、彼女の年齢には似つかわしくない、たいへん大人びた、それも廃れた大人がするような仕草だったのでした。
僕の視線に気付いたのか、彼女が僕に目を向けました。その目は、何見てんのよ、とでも言いたげな、少しいらついた視線でした。
そして彼女は、ふんっと横を向くのでした。

僕は急に可笑しくなりました。
僕は彼女に共犯者の臭いを嗅いだのです。
僕はカウンターの列を離れ、駅の改札に向かいました。
先ほどまでの疲れは行方知れずで、僕はとても清々しい気分でした。ひと仕事を終え、ビールを一気に飲みたい気分です。
僕はきっと彼女のように上手く演奏できたのだと思います。
例えそれが僕の嫌悪するところであるにしろ、いくら綺麗に光っても噴水の水はただの水でしかなく、時には汚くなって人の関心を惹きつけなければならない時もあるはずなのです。
僕は不純です。嫌らしい大人です。
僕は早く家に帰って冷たいビール飲みたいと思いました。それによって不純な自分を濾過して早く本来の自分を取り戻したかったのです。
面接の結果はもうどうでもいいように思われました。
僕は電車の中で足踏みをしながら、家の駅までの時間を過ごすのでした。

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