2012年06月08日

大人になってからの海外生活


その金曜日の朝、僕はいつも通りに出勤しました。
オフィスに着くと、僕は自分のPCを立ち上げてメールの確認をしました。
届いていた20件程のメールのそのほとんどは、数日前から引きずっていた少し厄介な案件に関するものでした。
翌月曜日は祝日だったため、僕はどうしてもその日の内にその案件を片付けてしまいたいと思いながら、それらのメールを一通一通注意深く読んでゆきました。
頭を抱えてそれらのメールを読み進めていると、新たに一件のメールが届いていることに僕は気が付きました。
そのメールの送り主の名前と件名を確認して、僕はハッとしました。僕はそれまで読んでいたメールを閉じ、今届いたばかりのそのメールを急いで開きました。

労働ビザ457が無事に下りましたことをここにお知らせ致します。また、それに伴い、あなたのワーキングホリデービザは失効しました。今後は労働ビザ457の制限を遵守して下さい。

そのメールはビザコンサルタント会社からのものでした。
添付されていた証明書には僕の名前が記載されていて、僕は思わず立ち上がりYES!!と叫んでしまいました。
ようやく労働ビザが下りたのです。
突然立ち上がった僕を周りにいた同僚たちが驚きをもって見詰めました。
少し離れて座っていた僕の上司は、僕に向かって片目を瞑って親指を立てていました。彼は人事から既にその知らせを聞いていたのです。

よしっ、今日はチーム全員でお祝いのランチに出かけよう。

上司はそう言って、チームの一人にレストランを予約するように指示しました。
あの少し厄介な案件は、上司の計らいで他のチームが引き継ぐことになり、僕は彼の勧めるまま、お昼からビールを数杯飲むのでした。

2時間に及んだ楽しい昼食会から戻ると、人事からメールが届いていました。
そのメールには、翌週から僕が正規雇用される旨が書かれていました。
そして、派遣会社からもすぐにメールが届き、契約の終了を知らせて来たのでした。

僕はついに労働ビザを取得しました。
労働ビザの期限は4年間です。更新も出来ます。つまり、僕がこの銀行をやめない限り、僕はここオーストラリアに残れることになったのです。
当初の予定では、ほんの3ヵ月間だけの滞在のはずでした。しかし、僕はいつの間にかここに残りたいと思うようになっていて、そして、ついに僕はここに残れることになったのです。

そんなの知ってたよ。だって、君はそのためにいろいろ努力してたじゃない。
でも、良かったね。本当に。

帰宅し、ビザが下りたことを僕が報告すると、ダニエルはそう言って僕の肩をたたきました。
いつも生意気なことを言う奴です。
しかし、彼は本当に知っているのでしょうか。僕がここに残れることになったのは、あの日、溺れるようにして僕の隣のレーンで泳いでいた彼のお陰だということを。
あの日、もし彼があのプールで泳いでいなければ、僕はきっとここには既にいないはずでした。彼に会わなければ、僕は当初の予定通り3ヵ月で帰国していたと思うのです。

ありがとう。

僕は彼にお礼を言いました。
何について僕が感謝をしているのかよく分っていない様子でしたが、彼は小さく頷きました。

その翌日の土曜日、僕は、新しいソファを買いたいというナミさんとエリックに連れ回され、何軒もの家具屋を訪れていました。
2人だけだと趣味の不一致から必ず喧嘩になるからと、僕が呼び出されたのです。いつもなら、これはダニエルの役目なのですが、その日のダニエルは用事があったらしく、僕が彼の代わりとしてその買い物に付き合わされることになったのでした。
エリックが、このソファがいい、と言うと、繊細な日本人にはとても理解出来ない悪趣味よねぇ、とナミさんが僕に賛同を求めます。
ナミさんが、このソファがいい、と言うと、高い割にシンプル過ぎてつまらない、とエリックが言い、2人の趣味に叶うソファはなかなか見つからないのでした。
結局その日、夕方になっても2人はソファを決めることが出来ませんでした。

あなたが悪いのよ。
君のせいだよ。

僕は2人のそんな仲睦まじい言い争いを車の後部座席から音楽のように聞きながら、彼らと初めて会ったあの夕食のひと時を思い出していました。
あの夜、僕は宿なしとなっていて、彼らは僕と初対面にも関わらず、僕を彼らの家に泊まらせてくれようとしました
もう10ヵ月も前のことなのに、昨日のことのように、それは鮮明に思い出されるのでした。
それからも僕は、この2人にはたくさんお世話になりました。夕食に招待されたり、週末旅行を共にしたり、彼らはオーストラリアにまだ不慣れだった僕を家族の一員のように扱ってくれ、僕にオーストラリアでの楽しみ方を教えてくれたのでした。

あー、今日は疲れちゃったわ。あなたの家で、ダニエルの台湾茶でもご馳走になってから帰ることにするわ。

ナミさんはそう言って、エリックに進路を変えるように指示しました。
3連休初日のその日はひどく渋滞していて、ようやく家に着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていました。
ダニエルがもう家に帰っていてもいいはずの時間でしたが、外から見ると窓には灯りがついていませんでした。
ダニエルのお茶ってどこにしまってあったっけかな。僕はそんなことを考えながら、ナミさんとエリックの前を歩いてマンションの廊下を進みました。
2つある部屋のドアの鍵は両方とも掛っていて、やはりダニエルはまだ帰宅していないようでした。
僕はドアを開け、玄関ホールの電気を点けてから、ナミさんとエリックに中に入るように促しました。
どういう訳か2人は中に入るのを躊躇していて、それは僕を少し不思議がらせました。
ダニエルのお茶を飲みに来たのに、ダニエルがいないから、勝手に飲むのを悪いと思っているのかな。
僕はそう思いついて、すぐにお茶の準備するから、と彼らに言って部屋の奥に進みました。
そして、僕がリビングの電気を点けたその時です。

サプラーイズ!!!!

その声と共に、たくさんのクラッカーの音が部屋中に鳴り響いたのです。
そこにはダニエルをはじめ、たくさんの友人らがいて、僕の驚いた様子を見て大笑いしているのでした。
僕の後ろから、少し遅れてナミさんとエリックもクラッカーを鳴らします。
僕は何が起きているのか分らないまま、とりあえず大笑いしている彼らと一緒になって笑いました。

ゆうすけ、おめでとう! 

みんなが一斉にそう叫びます。
ひょっとして労働ビザのこと?
僕はようやくこれがダニエルの仕込んだサプライズ・パーティーだと気付いたのです。
ナミさんとエリックもグルとなって僕を一日中引きずり回して、僕を家から遠ざけていたのです。
僕の顔は急にほてり出し、自分でも真っ赤になっていることが分りました。
部屋の隅にはルークの姿もありました。相変わらず照れ屋の彼は、みんなの輪から離れて、はみかみながら僕の照れるのを遠くから見詰めているのです。

ありがとう。ありがとう。

僕は一人一人にお礼を言いながら、ルークの元へと近づきました。
仕事の量を減らして、専門学校に通っているからでしょうか。久しぶりに会うルークは以前より少しふっくらとしていました。
いつも土に汚れたジーンズ姿でいた彼は、その日は小奇麗な格好をしていて、会わないうちに何かが彼の中で変わったんだな、と僕に思わせるのでした。

ゆうすけ、おめでとう。

ルークにおめでとうを言われるのは、これが二度目でした。一度目は僕が初めてオーストラリアで仕事を得た時でした。
あの日は飲み潰れるまで2人で飲みました
あの頃は、僕よりも随分と年下に見えていた彼でしたが、彼はすっかりと変わって、年相応の教養のある落ち着いた大人の雰囲気を身にまとって僕の目の前に立っていました。
僕は何も言わずに、彼の背中をたたいて彼を称賛しました。
少し眉を上げ得意な顔をする彼を僕は微笑ましく思うのでした。

ダニエルがグラスを運んできて、そこにシャンパンを注ぎました。
全員にシャンパンが行き渡るのを確認すると、彼は改めて乾杯の音頭をとり、それに合わせてみんながグラスを合わせました。

僕は部屋を見渡し、僕のために集まってくれた友人らを眺めていました。

僕はオーストラリアでの生活にようやく根が張り出したような気がしていました。
30歳を過ぎ、不安の中で一から始めた生活が、今ようやく根を下ろしたようです。

僕の海外生活は今スタートしたばかりのように思われました。
持参した5,000豪ドルのトラベラーズチェック。それと共に僕のオーストラリアでの生活は始まりました。しかし、それは生活と言うより、旅行の延長に過ぎませんでした。
資金が足りそうにもなく仕事を始めました。しかし、それでも生活しているようには感じられませんでした。
地に足が付かず、僕は海外で生活をする振りをするばかりで、実際にはいつ日本に帰っても不思議ではないくらい、ふわふわとしていたのでした。
そして今、こんな自分を受け入れてくれている友人らに囲まれて、僕はようやく海外で生活しているのだという実感を感じるのでした。

トラベラーズチェックは、まだ1,500豪ドル分が使われずに残っていました。
それは大事なお守りのようにしまってありました。何故なら、僕はまたいつか、つまづくかも知れないからです。その時、僕はそのトラベラーズチェックを取り出して、今までのことを思い出すのです。
もしつまづいたら、また一から始めればいいのです。
もし自分次第ではどうにもならない時が来たら、その時はまた一から始めればいいのです。
ただ、僕は弱虫なので、今はそう思っていても、いざその時なると、そうは思えなくなりそうです。
ですから、そのトラベラーズチェックはずっと使わずにお守りとして取っておこうと思うのです。

ほら、ゆうすけ、一人でボーっとしてないで、こっちにおいでよ。

みんなが僕を呼んでいます。
誰かが僕の背を押し、僕はみんなの輪の中に加わります。
彼らは僕を笑顔で迎え入れ、僕もそれに笑顔で応えます。
自分らしい自分でいられること。僕はその喜びを噛みしめます。
一人悶々としていたあの頃の僕は、もう、そこには見当たらないのでした。

<<終わり>>



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2012年06月07日

労働ビザ 健康診断の結果


仕事を始めてから2ヵ月が経ちました。
僕の仕事は、他のチームとの共同作業が基本でした。
その共同作業は、シドニーオフィスにあるチームとだけではなく、アジア太平洋地域の各都市にある現地チームとも行われていました。
僕が属するチームが各チームをまとめ上げる役を担っていたため、各チームとの連絡は頻繁に行われ、就業時間中、僕のチームの誰かしらが常にどこかのチームのメンバーとやりとりをしていたのでした。
各チームとの連絡は社内向けのチャットツールで行われていました。国際企業では電話の代わりによく使われているツールらしく、言葉の壁を少しでも低くすることが出来、また、電話よりも簡潔に連絡が出来るため、連絡ミスを防ぐのと同時に時間の節約にもなっているようでした。

公用語は英語でしたが、電話では伝えられないこと聞き取れないことも、チャットツールでなら僕でも何とか各チームのメンバーとコミュニケーションが取ることが出来ました。
比較的暇な時間帯になると、仕事以外の世間話や上司には聞かれてはまずい話などもチャットしたりして、各チームのメンバーとの親睦もそのチャットツールを通して深めることが出来るのでした。
親睦が深まると、少しやっかいな仕事もお互いに嫌な思いをせずに引き受合うことが出来るようになるため、度を過ぎない程度の仕事中の世間話は、上司等も黙認していたのでした。

当初の予定では、僕は既に労働ビザを取得していてもよい頃でした。
打ち解けた同僚たちが、まだ下りないの?とチャットをしてきます。
僕は自分の心臓のことを誰にも話してはいなかったので、そろそろだとは思うんだけどね、とだけ答えておきました。
本当は、まだ専門医の診断も下されていない状態でした。
その翌週に、僕はもう一人の専門医の診察を受けることになっていたのです。

僕を最初に診察した専門医は、結局、診断書を書きませんでした。
その代わりに、彼よりも経験のある専門医を僕に紹介したのでした。

こんにちは。君がゆうすけくんだね。今日はよく来てくれました。

翌週に訪れた病院で、その専門医は僕を暖かく迎えてくれました。
やさしく微笑むその初老の医師は、子供の頃に通っていた小児科病棟の先生を僕に思い出させました。
最初に僕を診察した、あのたいへんビジネスライクな医師とは違い、彼にはどこか余裕があり、これから診察をするというよりも、これから一緒にお茶でも飲みながらお喋りを楽しもうか、とでもいうよな雰囲気で僕を診察室に招き入れたのでした。

今日は風が強くて寒いね。

医師はそう言いながら僕に椅子を勧め、自分も机の向こう側に置かれた椅子に腰を下ろすのでした。
そして、彼は僕に色々なことを尋ねました。それは僕の心臓のことについてではなく、オーストラリアにはいつ来たのかだとか、シドニーでの生活はどうだとか、そういった他愛もない質問でした。
彼は終始笑顔を絶やさず、そうか、そうか、と僕の話に相槌を入れるのでした。
幼かった頃の僕を担当していた小児科の医師も、勝手に話し出す僕の話をこうして頷きながら聞いてくれていました。

君は随分と珍しい心臓を持っているようだね。

話が一段落すると、医師はそう切り出しました。その頃には、僕はすっかりその医師に打ち解けていました。僕は上手くその医師に乗せられてしまったようです。いつもならストレスを感じイライラしながら始まる診察も、僕はまったく落ち着いて受けることが出来たのでした。もうどんな診断をされても、この医師を責める気にはなれないと思われるのでした。

医師はPCの画面に、先日超音波検査で撮影した僕の心臓を映し出しました。検査中は画面を覗くことが出来なかったので、僕はその時久しぶりに自分の心臓を見ることが出来ました。
画面の中の心臓と同じタイミングで、自分の中にある心臓が鼓動します。僕は不思議な気持ちで画面に見入るのでした。
妊娠した女性も、こんな気持ちになって自分のお腹にいる赤ん坊の姿を見るのでしょうか。
医師は暫くの間、その画面に映し出された僕の心臓を黙って見詰めていました。彼にとって、それは見飽きることのないもののようでした。

僕は診察台の上に横たわるように指示され、心電図を取られました。
それから聴診器を胸や背中にあてられ、息を深く吸ったり吐いたりさせられました。
診察らしい診察はこれで終わりでした。
医師はとても満足そうな顔をしていました。最初に僕を診察した医師のように困った顔はしていませんでした。

とても素晴らしい心臓だと思います。今日は本当に来てくれてありがとう。

医師は僕にそう言いました。
脱いだシャツを身に付ける僕を、その医師は名残惜しそうに眺めていました。

僕等は先ほど座っていた椅子に戻り、いよいよ本題に入りました。診断書の件です。
普段の生活を送るのに支障がなく、また、医療機関による特別な治療や介護等の必要性がないと診断してもらわなければ、僕の申請したビザは却下されることになるかも知れないのでした。
不安そうに見詰める僕に、その医師は僕に解るようにゆっくりと丁寧に言いました。

腫瘍があるために、健康な心臓に比べて、血液を送る力が弱く見られます。
それは心臓そのものの力が弱いと言う訳ではなく、腫瘍が邪魔をして血液の流れを弱めているのです。
生まれて間もない君を診察した先生は、さぞかし驚かれたと思います。

僕は頷きました。
確かにその医師の言うとおりでした。僕はこの疾患が発見されてからすぐに長い間入院をさせられたと両親に聞いていました。
言葉をようやく話しだした僕は、看護婦を「ママ、ママ」と呼んで、見舞いに来た母親に抱かれるのを嫌がり大きな声で泣き叫んでいたそうです。
また、その時に診断された結果、僕の寿命は5歳までとされていたようです。
医師の話は続きました。

血液の流れが弱いとは言うものの、日常生活に支障を与えるほどではありません。
また、この腫瘍が将来大きくなるとは思えません。
君は幸運の持ち主だと思います。
正直、私は驚きました。
心配しなくて大丈夫。診断書に問題はないと書いておきます。

僕は自分の全身から力がふうと抜けてゆくのを感じました。
ありがとうございます。ありがとうございます。
僕は、その言葉を医師に何度も繰り返しました。
医師はそんな僕を微笑みながら見詰めていました。

ところで、君のことはもう誰か書いたのかな?

僕はその医師が何を言っているのかをすぐに理解しました。
既に学会に発表されているかどうか、彼は気になっているようです。
しかし、僕にはわかりませんでした。生まれてから何十人もの専門医に診察をされていたので、もしかしたら、僕の知らないところで誰かが勝手に発表しているかも知れませんでした。
僕は正直に分りませんと答えました。

でも、もしご興味があるなら、またここに来て精密検査を受けてもいいですよ。

僕からの感謝の気持ちです。
医師は、うーんと唸りながら、ちょっと調べてみるか、と言って僕を部屋の外へと見送ってくれました。

じゃ、お電話お待ちしています。お金の相談はその時に。

僕は冗談にそう言って、大笑いする医師を背に診察室を後にしました。
この時、僕とその医師の間には既に信頼関係が出来上がっているように僕には思われました。

病院の外は相変わらず風が強く、一段と冷え込んでいました。
僕は仕事先にも着て行けるような冬のコートを持っておらず、薄手のジャケットを羽織っているだけでした。

よし、コートを買おう。

どうやら僕はオーストラリアでその冬を過ごすことが出来そうでした。
あの医師は診断書をすぐに送ってくれると言っていました。間もなくすればビザは下りるでしょう。
それにしても、世間話とは不思議なものです。彼は短期間のうちに、見事に僕を自分の味方につけました。診断も彼の思うようにすればいいと僕に思わせ、病院嫌いの僕に精密検査をしても構わないとまで言わせたのです。

寒いですね。

僕は病院の外で煙草を吸っていた見知らぬ人にそう声を掛けました。
そうだね、明日はもっと寒くなるんだってさ。見知らぬ人はそう応えました。
僕はその些細な世間話で少し暖かくなり、心を弾ませて家路についたのでした。

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2012年06月06日

諦めの海外生活


健康診断を受けた医療機関から届いた通知には、超音波検査及び心電図検査を含む専門医による診察が必要と書かれていました。診断書は専門医から直接その医療機関へ送付するように指示されていて、それは診断書の改ざんを防ぐためだと思われました。

そうは言われても、僕にはどこに連絡してそれらの予約を入れてよいのか見当もつきませんでした。
ダニエルによると、通常、専門医に診てもらうには、GPと呼ばれる一般開業医からの紹介状が必要で、どうやら僕は、GPにまずは予約を入れなければならないようでした。

面倒くさいなあ。

既に健康診断の結果をストレスに感じていた僕は、更に、慣れない英語でこれらのすべてを予約しなければならないことにうんざりするのでした。
そもそも僕には、そんな高度な英語力があるとは思えませんでした。日本語ですら、自分の心臓の疾患の名称を正しく覚えていないくらいです。

だったら、日本人のGPに予約を入れれば?

眉間に皺を寄せている僕に、ダニエルが日本語のフリーペーパーを広げて、日本語で受診出来るクリニックの広告を指さしました。
なるほど、その手があったか。
シドニーには日本語で予約も受診も出来るクリニックがいくつかあったのです。
普通の一般開業医よりは少し高くつくようでしたが、仕事先の人事からは、ビザ取得に要する費用は後で必要経費として申請しても構わないと言われていたので、僕は早速その中の一つのクリニックに予約を入れたのでした。
日本語というだけで、これほどストレスを感じずにものごとを進めることが出来るのは不思議なものでした。

翌朝、僕は仕事の前にそのクリニックを訪れました。
僕は日本人の女医に健康診断を受けた医療機関から届いた通知を見せました。
僕は胸に聴診器をあてられ、血圧を測られました。そのことに何の意味があるのか僕には分りませんでしたが、僕は彼女の好きなようにさせておくのでした。

じゃ、受付で専門医の予約してもらって下さいね。

女医は僕にそう告げて、5分足らずの診察を終えました。
とても感じの良い先生だったのですが、僕には本当にこの先生を通して専門医の予約をする必要があるのかどうか少し疑問に思われました。それほど、簡単な診察だったのです。
どちらにしろ専門医の診断書が必要なのには変わらないので、そもそもこの診察自体が無駄なような気もしていたのです。

受付けの女性は、僕に代わって超音波検査と循環器内科専門医の予約を入れてくれました。そのクリニックと提携している病院のようです。

あら、メディケアカードはお持ちではないんですか?

僕が支払いを済ませようとした時、受付の女性は少し驚いたように、僕にそう尋ねました。
彼女によると、日本の国民健康保険のような役割をするメディケアに加入していない人は、GPを通さなくても直接専門医の予約が出来たそうなのです。

それでは、本日の診察料は90ドルになります。

僕はその高額な請求額にたじろぎながらも清算を済ませました。
なにはともあれ、僕は無事に専門医に予約を入れてもらえたのです。この90ドルは勤め先に後で必要経費として請求出来ます。
少しでもストレスを回避できたのは、その時の僕にとってはとても良いことでした。しかし、それにしても高くつくものだな、と僕はしみじみ思わずにはいられないのでした。

健常者と全く変わりない生活を送っている僕にとって、これらのことはたいへんなストレスとなって僕に圧し掛かります。そして、諦め切れないことに遭遇し、それでも諦めなければならない時、そのストレスは頂点に達します。自分ではどうしようもありません。そう生まれてきてしまったのですから。僕はそんな時、自分をなだめるのに必至です。だからと言って、自分をかわいそうと思うことはありません。理不尽と思いながらも、世の中の仕組みを理解しようとします。30年以上もなんの問題もなく生きてきたからといって、臨床例のない疾患に対してオーストラリア政府が慎重になるのは当然です。もし万が一何か起こった時、僕がその高額になるであろう医療費を負担することが出来ない場合は、オーストラリア政府がその金額を負担しなければならない可能性があるのです。そう考えれば、僕の申請したビザが却下されることになったとしても、至極当然なのです。
僕はいつだって自分に言い聞かせてきました。誰だってリスクを負いたくはないのです。

僕を担当した循環器内科の専門医もそうでした。
初めて目にする疾患に、彼は戸惑いを隠せずに、僕の前でただひたすら頭を抱えるばかりなのでした。
すべては彼の診断に委ねられていました。
僕のストレスは沸点に達し、蒸発し、彼の額に水滴となって現れます。水滴は額を流れ落ち、彼は手の甲でそれを拭いながら僕に言うのでした。

I don't know... I'm sorry, but I don't know...
(分らない・・・。 君には悪いけど、僕には分らないよ・・・)

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posted by ゆうすけ at 10:35| Comment(3) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

自分次第ではどうにもならない海外生活


その日の朝、僕は半休を取り、シドニー中心部より少し外れたところにある政府指定の医療機関を訪れていました。
労働ビザを申請するにあたり、健康診断を受診するためでした。
待合ロビーはたいへん混雑していて、僕は自分の順番が回って来るまでの時間を人間観察をして過ごしていました。
一般のクリニックとは異なり、ここにいる誰もが何かしらのビザを申請するために訪れているのでした。
アジア人は意外と少なく、中東の人がその大半を占めていました。
永住権を申請するための血液検査でしょうか?片方の腕の袖をまくって、肘の内側を脱脂綿で抑えている人が多く見られます。
注射嫌いの僕は、労働ビザの申請に血液検査が必要とされていないことに安堵しつつも、胸部レントゲンでは絶対に再検査を求められるであろうことを既に憂鬱に思っていました。

ユウスケ、ユウスケ!

僕の順番が来たようです。レントゲン技師が僕の名前を呼びました。
レントゲン技師は僕をレントゲン室へと案内しながら、僕に疾患の有無を確認しました。
一瞬、僕は何も告げずに、このまま知らんぷりをしてレントゲンを受けてしまおうかと思いました。しかし、バレるのは確実です。仕方なく、僕は自分の生まれ持った心臓の疾患をそのレントゲン技師に正直に伝えました。
レントゲン技師は驚いたように、また、珍しい生き物を見つけたかのように、シャツを脱いだ僕を見つめました。
そういった反応には子供の頃から慣れているので、僕は少しも嫌な気持ちはしませんでした。むしろ、どう?すごいでしょ?と自慢したくなるくらいです。

先天性心臓腫瘍

僕の持つ心臓の疾患はそう名付けられていました。それは珍しい疾患のようです。しかし、正確にはその疾患とは少し異なります。臨床例のない症状なので、臨床例のある似たようなその疾患から、まずはそう名付けられ、その後に左心室左心房なんとかなんちゃらと補足の説明書きが付き、生まれて30年以上たった今でも覚えきれないほど、その正式名は長いのでした。
外見から、または、聴診しただけではその疾患は分りません。特に長年水泳をしてきた僕の身体は健康そのものに見えるので、初めて僕を診察する医師らは驚きを隠せずに僕を見つめるのでした。

やはり、君が考えているように、専門医の診断書が必要だね・・・。超音波検査を受け心電図を取って、それから循環器の専門医の診断書を提出してもらうことになると思う。

今撮影したばかりの僕の胸部レントゲン写真のネガを照明にかざしながら、そのレントゲン技師は僕に言いました。
僕はそれを残念に思いながら聞いていました。そう言われることは、ここへ訪れる前から分っていたことなのですが、実際にそのことを耳にすると、やはり残念に思うのでした。こればかりは、慣れることは出来ません。

僕は衣服を整えてから待合ロビーに戻り、もう一度周囲を見渡しました。
僕より不健康そうに見える人がそこにはたくさんいました。それでも彼らの多くは無事にこの健康診断をパスしてゆくのです。
それは、どんなに抑えようとしても、僕には不公平に思えてしまうのでした。

僕は午後から出勤し、研修の続きを受けました。
同僚たちは辛抱強く丁寧に、僕に色々と教えてくれました。僕は彼らの努力とやさしさが無駄にならなければいいなと思いました。
労働ビザが下りなければ、僕はここを数ヶ月のうちに辞めなければなりませんでした。
ようやく一人で仕事がこなせるようになる頃、僕は辞めなければならないかも知れないのです。
8月中旬にはワーキングホリデーのビザの期限も切れてしまいます。それまでにあと4ヵ月もありませんでした。
自分で住むところですら自分自身で決められない。僕はそのことにもどかしさを感じていました。

それは、君次第だけどね。

以前、ダニエルが僕にそう言ったことを思い出します。
彼には申し訳ないけれど、自分次第で決めることが出来ないことも、この世の中にはたくさんあるのです。

小学生低学年の図画工作の時間に、僕は将来の夢を絵に描くことを先生に強要されました。
クラスメートの男の子らは、野球の選手、宇宙飛行士、パイロットなどの絵を描いていたのですが、そんな中、僕は一人で象の絵を描いていました。
先生はてっきり僕が動物園の飼育員になりたいのだと幸福な勘違いをして、その象の絵を褒めてくれました。
僕は動物園の飼育員になりたいとは微塵も思っていませんでした。僕はただ、なりたいものになれない自分を既に知っていたのです。
象の絵は、たくさん余っていた灰色の絵の具を使うためにだけ描いただけなのでした。

仕事帰りの電車の中、僕は25年も前に描いたその象の絵を思い出していました。
あの頃からちっとも変っていない自分の中にあるもどかしさを思い、僕は途方に暮れるのでした。

その一週間後、僕は健康診断を受けた医療機関から専門医の診断書を提出するようにとの通知を受け取りました。
諦めるのは嫌でしたが、僕は諦める覚悟をする必要がありました。
心配そうに僕の様子を窺うダニエルに、僕は、時々影が映っちゃうんだよね、でも大丈夫、とだけ言いました。
このことで人に気を使われることは面倒なことでした。
例えビザの申請が却下されても、僕は残りの数ヶ月を楽しくオーストラリアで過ごそうと思いました。
しかし、そう思いつつも、どうしても諦めたくないとの思いが強く、僕の覚悟はなかなか固まらないのでした。
自分の住む場所は自分で決める。僕は自分の好きなものを好きなように描きたい。僕はもう象の絵なんか描きたくはないのです。

その夜、僕はそれまで僕に親切にしてくれた友人らにメールを書きました。
さようならのメールです。
オーストラリアに来たての頃は単語をつなぎ合せるだけで精一杯でしたが、その頃になると僕の英語はいくぶん上達していて、僕の気持ちは僕の指たちを伝って画面上にたくさんタイプされてゆくのでした。
時折、滲み出る涙で画面が曇りましたが、僕はそれを必死に抑えてメールを書き上げました。
僕はそのメールを送信せずに、下書きのフォルダーに保存しました。
このメールを送信しなければならない日が来なければいい。僕はそう思いながらPCの電源を落としました。
僕は諦める覚悟も中途半端にそんなメールを用意しました。これから嫌な思いをするであろう自分を、僕はそうすることによって既に慰め始めていたのでした。

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