2012年04月20日

海外で優越感に浸る日本人


オーストラリアへ来てからの慌ただしい日々はようやく一段落しました。
あれだけ大変だった最初の数週間は、もう遠い過去のように思えるのでした。
僕の周りからは目新しいものが徐々に減ってゆき、始めて見た時はあれほど感動したオペラハウスですら、通勤時における日常の一風景になっていたのでした。

シドニーでの生活が落ち着くと、僕の中にはこの街に対する不満が増えていったのでした。
時間通りに走らない電車やバス。
レストランでのまずい食事。
すぐに破れてしまう薄っぺらいスーパーのレジ袋。
不平を言い出せば、きりがないほど後からついて出てくるのです。

僕の住むアパートはキングスクロスという地域から歩いてすぐのところにありました。
日本を発つ前に友人から餞別としてもらったガイドブックには、その地域が“南半球最大の歓楽街”として紹介されていました。
何も知らなかった僕は新宿の歌舞伎町のようなところを想像していたのですが、実際にその場所を訪れてみると、そこは僕が日本で住んでいた町の駅前商店街よりも規模が小さかったので僕はひどく驚いたのでした。
週末の夜になると、そこは着飾った若い人達で溢れていました。しかし、その着飾り方はとてもどん臭く、決してお洒落とは呼べない野暮ったい格好をしているのでした。
それでも彼らは、あたかも大都会で洗練された大人の夜を楽しんでいるかのように振る舞い、それは僕の目に、ただただ田舎臭く映るのでした。
僕は急に、横浜の行きつけのバーや、友人とよく待ち合わせをした青山のカフェ、時折買い物に出かけた銀座などが恋しくなるのでした。

そりゃ、東京やニューヨークと比べたらダメだよ。東京とニューヨークは世界でも例外的に大都会なんだから。

ナミさんの旦那さんのエリックはそう言って僕をたしなめました。
そう言われて初めて僕は、シドニーで生まれ育ったエリックにたいへん失礼なことを言ったものだと慌てて思うのでした。
僕は、彼に何が言いたかったのでしょうか?
横浜で生まれ育ち東京で遊んでいた僕は、シドニーに住む人たちよりも洗練されているとでも言いたかったのでしょうか?
日本がオーストラリアよりもあらゆる点で優れているとでも言いたかったのでしょうか?

私は、日本はあまり好きじゃないわ。こっちの大学を卒業して一旦は日本に帰ったけど、やっぱりオーストラリアに戻ってきちゃった。
もちろん日本よりは不便なところはたくさんあるけれど、それもきっと私がこの国を好きな理由なのかも知れない。

ナミさんは日本よりもオーストラリアのほうが過ごしやすいと言います。
日本で一般常識とされていることは、彼女にとって窮屈に感じられるらしいのです。

僕は大学で勉強した、「エスノセントリズム(自民族・自文化中心主義)」という言葉を思い出していました。
僕は見知らぬ異文化に触れました。そして、それについて、それまで慣れ親しんでいた日本の文化を基準としていろいろと判断を下していたのです。
僕は日本のほうが優れているということを大前提にして、オーストラリアを小馬鹿にしていたのでした。
人種差別についてルークと話しあったばかりなのに、僕は何を言っているのでしょう。

初めて接する異文化は、その人の人生観に多大な影響を与えるそうです。
極端にその文化を好きになる人もいれば、大嫌いになる人もいるらしいのです。
大学で社会学を専攻していた僕はそれらについて勉強していたにも関わらず、いざ自分がその立場になってみると客観的にものごとを観察することが出来ずにいたのでした。

えっ?
ナミ、君は僕に、オーストラリア人は怠け者でちっとも働かない、っていつも文句を言ってるじゃないか。

エリックがそう言ってナミさんを茶化します。
だってそれは事実でしょ。
ナミさんは涼しい顔をしてエリックを一蹴するのでした。
僕は、お互いの文化や習慣を尊重しながら結ばれた2人のじゃれ合いを眺めながら、異文化の中で暮らしてゆくには、それまでの概念を捨てて自分の考えをまずはしっかりと持たなければならいのだなと思っていたのでした。

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posted by ゆうすけ at 15:51| Comment(6) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の夫もオーストラリア人です。
ウチでもよくナミさんとエリックさんのような会話が繰り広げられてます(笑)
わたしも、どちらの国にも良い悪いと思えることがあって、総括してオーストラリアに住むほうが好きですね。
日本ほど他人がどう思うかとか気にしなくていいところとか。細かいところが行き届かないことも多い国ですが、逆にきりきりせずにすみ、いろんな意味で人間らしくいられる気がします。
Posted by at 2012年04月21日 08:46
> 結さん、
海外で暮らしてみると、それまで常識だと思って我慢していたことがそうではなくなって、気が楽になることもありますね。
コメントありがとうございました。
Posted by ゆうすけ at 2012年04月21日 10:16
はじめまして。私が住んでいるのはイタリアですが、やはりいろんなことが日本とは違うので、イタリアの方が、人間らしさや家族、私生活を大切にするところはいいけれど、公共施設や店、業者のサービスはもっと見直してほしいなと思うところが多いと思いつつ、一番理想的なのは、公に個人が犠牲にされる傾向のある日本とイタリアの中間くらいではないかなといつも思います。

国に限らず、自分というものを、他人と、ほかと比べて初めて知るという面もあるし、外に出て初めて、実は自分が、それまで育ってきた国で、当たり前と思っていたことが当たり前でないことを知り、異文化との接触、異文化と暮らすことの中には、難しいことも、いいことも、学びも多いと思います。わたしがかつて文化人類学で(応用言語学の授業でしたが、この手のことも多く習いました)習った、人と異文化接触のグラフには、確か、初めて訪れたとき、暮らし始めたときには、何もかもが珍しく憧れがいっぱいで、うれしいことばかりだけれど、やがて、困ったことばかりが目につき始めて、異文化への思いがマイナスに向かって、マイナスの頂点に達し、やがてはいいところも見え始めて、プラスマイナスゼロより少し上のあたりで落ち着き、ほんの少しずつ向上する傾向があるとありました。今はちょうど、このマイナスに向かう途中、あるいは下降頂点にいらっしゃるかもしれませんね。(今このグラフについて書きつつ、昨日記事で読んだ「夫婦の心理・愛情の変化」と相似点が多いと思いました。)

ああ、これではいけないと、すぐにご自分で気づけるのは、それだけゆうすけさんが大人だからだと思います。偏見の多い現地の人と会うときも時々あり、やはりお互いに学びあう、認め合うことの大切さを、つくづくと思うのでありました。
Posted by なおこ at 2012年04月22日 00:47
> なおこさん、
コメントありがとうございます。
なるほど、国際結婚でなくても、すべての結婚はある意味、異文化の結び合いですね。
お互いを尊重し合うことはどの国で暮らしていても大切なのですよね。
これからもよろしくお願いします。
Posted by ゆうすけ at 2012年04月22日 07:06
私もシドニーで住み始めた頃、文句ばかりでした。もう10年以上も前の事ですが。でも、半年も過ぎる頃、もっとここにいたいと思い出し、5年の滞在で世界一好きな街になっていました。
今はもっと田舎のNZに住んでいるので、あの頃よりずっと発展してしまったシドニーは私には都会過ぎて馴染めそうにありません。
自分の状況によって街の見え方が変わるのは不思議なものですね。
Posted by michino at 2012年04月23日 06:20
> michinoさん、
コメントありがとうございます。
ニュージーランドで素敵な日々を過ごされているんでしょうね。michinoさんのやさしい文面からそれが十分に伝わってきます。いつか僕にも、世界のどこかの街からシドニーのことを思い出す日が来るのかな。
これからもよろしくお願いします。
Posted by ゆうすけ at 2012年04月23日 07:40
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