2012年06月05日

自分次第ではどうにもならない海外生活


その日の朝、僕は半休を取り、シドニー中心部より少し外れたところにある政府指定の医療機関を訪れていました。
労働ビザを申請するにあたり、健康診断を受診するためでした。
待合ロビーはたいへん混雑していて、僕は自分の順番が回って来るまでの時間を人間観察をして過ごしていました。
一般のクリニックとは異なり、ここにいる誰もが何かしらのビザを申請するために訪れているのでした。
アジア人は意外と少なく、中東の人がその大半を占めていました。
永住権を申請するための血液検査でしょうか?片方の腕の袖をまくって、肘の内側を脱脂綿で抑えている人が多く見られます。
注射嫌いの僕は、労働ビザの申請に血液検査が必要とされていないことに安堵しつつも、胸部レントゲンでは絶対に再検査を求められるであろうことを既に憂鬱に思っていました。

ユウスケ、ユウスケ!

僕の順番が来たようです。レントゲン技師が僕の名前を呼びました。
レントゲン技師は僕をレントゲン室へと案内しながら、僕に疾患の有無を確認しました。
一瞬、僕は何も告げずに、このまま知らんぷりをしてレントゲンを受けてしまおうかと思いました。しかし、バレるのは確実です。仕方なく、僕は自分の生まれ持った心臓の疾患をそのレントゲン技師に正直に伝えました。
レントゲン技師は驚いたように、また、珍しい生き物を見つけたかのように、シャツを脱いだ僕を見つめました。
そういった反応には子供の頃から慣れているので、僕は少しも嫌な気持ちはしませんでした。むしろ、どう?すごいでしょ?と自慢したくなるくらいです。

先天性心臓腫瘍

僕の持つ心臓の疾患はそう名付けられていました。それは珍しい疾患のようです。しかし、正確にはその疾患とは少し異なります。臨床例のない症状なので、臨床例のある似たようなその疾患から、まずはそう名付けられ、その後に左心室左心房なんとかなんちゃらと補足の説明書きが付き、生まれて30年以上たった今でも覚えきれないほど、その正式名は長いのでした。
外見から、または、聴診しただけではその疾患は分りません。特に長年水泳をしてきた僕の身体は健康そのものに見えるので、初めて僕を診察する医師らは驚きを隠せずに僕を見つめるのでした。

やはり、君が考えているように、専門医の診断書が必要だね・・・。超音波検査を受け心電図を取って、それから循環器の専門医の診断書を提出してもらうことになると思う。

今撮影したばかりの僕の胸部レントゲン写真のネガを照明にかざしながら、そのレントゲン技師は僕に言いました。
僕はそれを残念に思いながら聞いていました。そう言われることは、ここへ訪れる前から分っていたことなのですが、実際にそのことを耳にすると、やはり残念に思うのでした。こればかりは、慣れることは出来ません。

僕は衣服を整えてから待合ロビーに戻り、もう一度周囲を見渡しました。
僕より不健康そうに見える人がそこにはたくさんいました。それでも彼らの多くは無事にこの健康診断をパスしてゆくのです。
それは、どんなに抑えようとしても、僕には不公平に思えてしまうのでした。

僕は午後から出勤し、研修の続きを受けました。
同僚たちは辛抱強く丁寧に、僕に色々と教えてくれました。僕は彼らの努力とやさしさが無駄にならなければいいなと思いました。
労働ビザが下りなければ、僕はここを数ヶ月のうちに辞めなければなりませんでした。
ようやく一人で仕事がこなせるようになる頃、僕は辞めなければならないかも知れないのです。
8月中旬にはワーキングホリデーのビザの期限も切れてしまいます。それまでにあと4ヵ月もありませんでした。
自分で住むところですら自分自身で決められない。僕はそのことにもどかしさを感じていました。

それは、君次第だけどね。

以前、ダニエルが僕にそう言ったことを思い出します。
彼には申し訳ないけれど、自分次第で決めることが出来ないことも、この世の中にはたくさんあるのです。

小学生低学年の図画工作の時間に、僕は将来の夢を絵に描くことを先生に強要されました。
クラスメートの男の子らは、野球の選手、宇宙飛行士、パイロットなどの絵を描いていたのですが、そんな中、僕は一人で象の絵を描いていました。
先生はてっきり僕が動物園の飼育員になりたいのだと幸福な勘違いをして、その象の絵を褒めてくれました。
僕は動物園の飼育員になりたいとは微塵も思っていませんでした。僕はただ、なりたいものになれない自分を既に知っていたのです。
象の絵は、たくさん余っていた灰色の絵の具を使うためにだけ描いただけなのでした。

仕事帰りの電車の中、僕は25年も前に描いたその象の絵を思い出していました。
あの頃からちっとも変っていない自分の中にあるもどかしさを思い、僕は途方に暮れるのでした。

その一週間後、僕は健康診断を受けた医療機関から専門医の診断書を提出するようにとの通知を受け取りました。
諦めるのは嫌でしたが、僕は諦める覚悟をする必要がありました。
心配そうに僕の様子を窺うダニエルに、僕は、時々影が映っちゃうんだよね、でも大丈夫、とだけ言いました。
このことで人に気を使われることは面倒なことでした。
例えビザの申請が却下されても、僕は残りの数ヶ月を楽しくオーストラリアで過ごそうと思いました。
しかし、そう思いつつも、どうしても諦めたくないとの思いが強く、僕の覚悟はなかなか固まらないのでした。
自分の住む場所は自分で決める。僕は自分の好きなものを好きなように描きたい。僕はもう象の絵なんか描きたくはないのです。

その夜、僕はそれまで僕に親切にしてくれた友人らにメールを書きました。
さようならのメールです。
オーストラリアに来たての頃は単語をつなぎ合せるだけで精一杯でしたが、その頃になると僕の英語はいくぶん上達していて、僕の気持ちは僕の指たちを伝って画面上にたくさんタイプされてゆくのでした。
時折、滲み出る涙で画面が曇りましたが、僕はそれを必死に抑えてメールを書き上げました。
僕はそのメールを送信せずに、下書きのフォルダーに保存しました。
このメールを送信しなければならない日が来なければいい。僕はそう思いながらPCの電源を落としました。
僕は諦める覚悟も中途半端にそんなメールを用意しました。これから嫌な思いをするであろう自分を、僕はそうすることによって既に慰め始めていたのでした。

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posted by ゆうすけ at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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