2012年06月07日

労働ビザ 健康診断の結果


仕事を始めてから2ヵ月が経ちました。
僕の仕事は、他のチームとの共同作業が基本でした。
その共同作業は、シドニーオフィスにあるチームとだけではなく、アジア太平洋地域の各都市にある現地チームとも行われていました。
僕が属するチームが各チームをまとめ上げる役を担っていたため、各チームとの連絡は頻繁に行われ、就業時間中、僕のチームの誰かしらが常にどこかのチームのメンバーとやりとりをしていたのでした。
各チームとの連絡は社内向けのチャットツールで行われていました。国際企業では電話の代わりによく使われているツールらしく、言葉の壁を少しでも低くすることが出来、また、電話よりも簡潔に連絡が出来るため、連絡ミスを防ぐのと同時に時間の節約にもなっているようでした。

公用語は英語でしたが、電話では伝えられないこと聞き取れないことも、チャットツールでなら僕でも何とか各チームのメンバーとコミュニケーションが取ることが出来ました。
比較的暇な時間帯になると、仕事以外の世間話や上司には聞かれてはまずい話などもチャットしたりして、各チームのメンバーとの親睦もそのチャットツールを通して深めることが出来るのでした。
親睦が深まると、少しやっかいな仕事もお互いに嫌な思いをせずに引き受合うことが出来るようになるため、度を過ぎない程度の仕事中の世間話は、上司等も黙認していたのでした。

当初の予定では、僕は既に労働ビザを取得していてもよい頃でした。
打ち解けた同僚たちが、まだ下りないの?とチャットをしてきます。
僕は自分の心臓のことを誰にも話してはいなかったので、そろそろだとは思うんだけどね、とだけ答えておきました。
本当は、まだ専門医の診断も下されていない状態でした。
その翌週に、僕はもう一人の専門医の診察を受けることになっていたのです。

僕を最初に診察した専門医は、結局、診断書を書きませんでした。
その代わりに、彼よりも経験のある専門医を僕に紹介したのでした。

こんにちは。君がゆうすけくんだね。今日はよく来てくれました。

翌週に訪れた病院で、その専門医は僕を暖かく迎えてくれました。
やさしく微笑むその初老の医師は、子供の頃に通っていた小児科病棟の先生を僕に思い出させました。
最初に僕を診察した、あのたいへんビジネスライクな医師とは違い、彼にはどこか余裕があり、これから診察をするというよりも、これから一緒にお茶でも飲みながらお喋りを楽しもうか、とでもいうよな雰囲気で僕を診察室に招き入れたのでした。

今日は風が強くて寒いね。

医師はそう言いながら僕に椅子を勧め、自分も机の向こう側に置かれた椅子に腰を下ろすのでした。
そして、彼は僕に色々なことを尋ねました。それは僕の心臓のことについてではなく、オーストラリアにはいつ来たのかだとか、シドニーでの生活はどうだとか、そういった他愛もない質問でした。
彼は終始笑顔を絶やさず、そうか、そうか、と僕の話に相槌を入れるのでした。
幼かった頃の僕を担当していた小児科の医師も、勝手に話し出す僕の話をこうして頷きながら聞いてくれていました。

君は随分と珍しい心臓を持っているようだね。

話が一段落すると、医師はそう切り出しました。その頃には、僕はすっかりその医師に打ち解けていました。僕は上手くその医師に乗せられてしまったようです。いつもならストレスを感じイライラしながら始まる診察も、僕はまったく落ち着いて受けることが出来たのでした。もうどんな診断をされても、この医師を責める気にはなれないと思われるのでした。

医師はPCの画面に、先日超音波検査で撮影した僕の心臓を映し出しました。検査中は画面を覗くことが出来なかったので、僕はその時久しぶりに自分の心臓を見ることが出来ました。
画面の中の心臓と同じタイミングで、自分の中にある心臓が鼓動します。僕は不思議な気持ちで画面に見入るのでした。
妊娠した女性も、こんな気持ちになって自分のお腹にいる赤ん坊の姿を見るのでしょうか。
医師は暫くの間、その画面に映し出された僕の心臓を黙って見詰めていました。彼にとって、それは見飽きることのないもののようでした。

僕は診察台の上に横たわるように指示され、心電図を取られました。
それから聴診器を胸や背中にあてられ、息を深く吸ったり吐いたりさせられました。
診察らしい診察はこれで終わりでした。
医師はとても満足そうな顔をしていました。最初に僕を診察した医師のように困った顔はしていませんでした。

とても素晴らしい心臓だと思います。今日は本当に来てくれてありがとう。

医師は僕にそう言いました。
脱いだシャツを身に付ける僕を、その医師は名残惜しそうに眺めていました。

僕等は先ほど座っていた椅子に戻り、いよいよ本題に入りました。診断書の件です。
普段の生活を送るのに支障がなく、また、医療機関による特別な治療や介護等の必要性がないと診断してもらわなければ、僕の申請したビザは却下されることになるかも知れないのでした。
不安そうに見詰める僕に、その医師は僕に解るようにゆっくりと丁寧に言いました。

腫瘍があるために、健康な心臓に比べて、血液を送る力が弱く見られます。
それは心臓そのものの力が弱いと言う訳ではなく、腫瘍が邪魔をして血液の流れを弱めているのです。
生まれて間もない君を診察した先生は、さぞかし驚かれたと思います。

僕は頷きました。
確かにその医師の言うとおりでした。僕はこの疾患が発見されてからすぐに長い間入院をさせられたと両親に聞いていました。
言葉をようやく話しだした僕は、看護婦を「ママ、ママ」と呼んで、見舞いに来た母親に抱かれるのを嫌がり大きな声で泣き叫んでいたそうです。
また、その時に診断された結果、僕の寿命は5歳までとされていたようです。
医師の話は続きました。

血液の流れが弱いとは言うものの、日常生活に支障を与えるほどではありません。
また、この腫瘍が将来大きくなるとは思えません。
君は幸運の持ち主だと思います。
正直、私は驚きました。
心配しなくて大丈夫。診断書に問題はないと書いておきます。

僕は自分の全身から力がふうと抜けてゆくのを感じました。
ありがとうございます。ありがとうございます。
僕は、その言葉を医師に何度も繰り返しました。
医師はそんな僕を微笑みながら見詰めていました。

ところで、君のことはもう誰か書いたのかな?

僕はその医師が何を言っているのかをすぐに理解しました。
既に学会に発表されているかどうか、彼は気になっているようです。
しかし、僕にはわかりませんでした。生まれてから何十人もの専門医に診察をされていたので、もしかしたら、僕の知らないところで誰かが勝手に発表しているかも知れませんでした。
僕は正直に分りませんと答えました。

でも、もしご興味があるなら、またここに来て精密検査を受けてもいいですよ。

僕からの感謝の気持ちです。
医師は、うーんと唸りながら、ちょっと調べてみるか、と言って僕を部屋の外へと見送ってくれました。

じゃ、お電話お待ちしています。お金の相談はその時に。

僕は冗談にそう言って、大笑いする医師を背に診察室を後にしました。
この時、僕とその医師の間には既に信頼関係が出来上がっているように僕には思われました。

病院の外は相変わらず風が強く、一段と冷え込んでいました。
僕は仕事先にも着て行けるような冬のコートを持っておらず、薄手のジャケットを羽織っているだけでした。

よし、コートを買おう。

どうやら僕はオーストラリアでその冬を過ごすことが出来そうでした。
あの医師は診断書をすぐに送ってくれると言っていました。間もなくすればビザは下りるでしょう。
それにしても、世間話とは不思議なものです。彼は短期間のうちに、見事に僕を自分の味方につけました。診断も彼の思うようにすればいいと僕に思わせ、病院嫌いの僕に精密検査をしても構わないとまで言わせたのです。

寒いですね。

僕は病院の外で煙草を吸っていた見知らぬ人にそう声を掛けました。
そうだね、明日はもっと寒くなるんだってさ。見知らぬ人はそう応えました。
僕はその些細な世間話で少し暖かくなり、心を弾ませて家路についたのでした。

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posted by ゆうすけ at 12:10| Comment(4) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
昨夜ブログを見つけてとても惹きつけられ、
一気に読んでしまいました。

悩んだりハラハラドキドキしたり楽しんだり、
私もまるでそこにいるような気持ちです(笑)

素敵なお医者さんに出会えて良かったですね♪
これからも無理せずお身体気をつけてお過ごし下さい!

Posted by 緑茶 at 2012年06月08日 01:32
> 緑茶さん、
コメントありがとうございます。
一気に読んでしまいました、って、まさか過去ログ全部?もしそうだとしたら、それって凄すぎです。
本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
Posted by ゆうすけ at 2012年06月08日 06:36
そうなんですよ〜!なんかもう止まらなくて…。
またゆっくり読み返したりして今後の自分のバイブルにしたいと思います♪

つづき楽しみにしてま〜す!
Posted by 緑茶 at 2012年06月08日 09:56
> 緑茶さん、
本当にありがとうございます。
でも、このブログ、今日で終わってしまったっていう噂が・・・。
Posted by ゆうすけ at 2012年06月08日 13:16
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