2012年05月17日

典型的な日本人留学生?


2月に入り、同居人のダニエルは、旧正月を台湾にいる彼の家族と一緒に過ごすため、3週間家を留守にしました。
オーストラリアに来て以来ずっと誰かと一緒に暮らしていた僕にとって、久しぶりの一人暮らしでした。
日本では長年一人で暮らしていたので、その3週間はダニエルに気兼ねすることなくさぞかし気楽だろうと少し期待をしていたのですが、実際には決してそうではありませんでした。
日本時間に合わせて働いていた僕は夜の8時近くに家に着き、それから一人分の食事を用意して、黙々と寝るまでの時間を一人で過ごすのです。
大人しいルークをからかって遊んだり、日本から持ち込んだ僕の私物を勝手に物色するダニエルに文句を言ったりすることもありません。
一人で過ごす時間はとても長く感じられるのでした。

そんな僕とは対照的に、オーストラリアに来たばかりの水泳のインストラクターの友人は随分と賑やかな生活をしているようでした。
オーストラリアに来て最初の2週間を留学斡旋業者が用意した“ホームステイ”先で過ごしていた彼女は、語学学校で知り合った日本人のクラスメートの紹介でダーリングハーバー近くのアパートに移り住み、6、7人の日本人の女の子らと共同生活を始めていました。

あんなのホームステイじゃないですよ。空いてる部屋を留学生達に貸し出しているだけで、市街地からは遠いし、シャワーは5分間だけとか言われるし、下宿よりひどいっすよ。

どうやら彼女は、和気あいあいと家族の一員の如くホストファミリーと過ごす、あのテレビに出てくるような暖色系の灯りに包まれたホームステイ先を思い描いていたようなのでした。しかし、現実は留学生からの家賃収入を主な目的とした暖かみのない下宿先だったようなのです。

今はいいっすよ。市街地からも近いし、一人部屋じゃないですけど、合宿していると思えば楽しいっす。
今夜、お好み焼きパーティなんですよ。ゆうすけさんも来られますか?あっ、ダメだ。男子禁制だった。

合宿所か・・・。
体育会系の彼女らしいその発想に、僕は微笑まずにはいられませんでした。
語学習得を目的としていない語学留学生の彼女は、日本人の友人らと過ごすオーストラリアのほうが現地の人達や他の国からの留学生と過ごすことよりも楽しいようなのでした。
“典型的な日本人留学生”と批判の対象になり得るそんな彼女の生活でしたが、彼女の割り切り方がたいへん気持ちよく、男子禁制でなかったらそのお好み焼きパーティーに参加したかったなと、退屈な一人暮らしをしていた僕は思うのでした。

また、僕には彼女のことを批判することは到底出来ませんでした。何故なら、彼女はそう割り切りながらも、次々と仕事を見つけ出しては放課後を忙しくさせ、自分を1分たりとも退屈させていなかったのです。
彼女は週に2日、全国チェーンのスポーツジムで水泳のインストラクターをしているだけではなく、どこで見つけてきたのか、個人経営のボディビルダー専門のスポーツジムでも働き始め、更には近所のカフェでも週に何日か働いていたのでした。

掃除しているだけですよ。でも、ラテアートなんかも出来るようになったんですよ。へへへ。

彼女の生活力には圧倒されてしまいます。
オーストラリアに来ると聞いたときは、きっと彼女は僕におんぶにだっこのようなことになるのだろうと予想していたのでしたが、それは全くの僕のおごりでした。
ワーキングホリデーの若い女の子達に混じって生活していても、やはり彼女は僕よりずっと大人で、一人でも生活してゆける人だったのです。
資金に余裕のある彼女は、お金に困っているわけでもないのにいくつもの仕事を掛け持ちして、オーストラリアで過ごす時間を大切に使っていました。
そんな彼女に比べ、僕はルークやダニエルに甘えてばかりいて、一人になったとたん退屈してしまうのです。

じゃ、これから寿司屋のバイトの面接なんで、また来週にでも連絡しますよ。

そう言ってカフェを離れる彼女の後ろ姿を見つめながら、僕はもう一杯コーヒーを注文してその土曜日の午後の暇な時間をどう潰そうかと考えるのでした。

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2012年05月16日

海外生活をする意味探し


その土曜日、僕はボンダイ・ジャンクションの駅前で一人の日本人女性と待ち合わせをしていました。
彼女は、僕がオーストラリアに来る前まで通っていた横浜にあるスポーツジムで水泳のインストラクターをしていた人です。
体育会系の彼女はとても快活で、また、その丁寧な指導法には定評があり、そのスポーツジムでは誰からも好かれるたいへん人気のあるインストラクターでした。
僕も彼女にはいろいろと指導をしてもらい、そして、彼女のお陰で水泳が益々好きになったのでした。
日本を離れるにあたりそのスポーツジムを退会することになった僕は、それまでお世話になった彼女に挨拶をしに行きました。
そして、その時にお互いのメールアドレスを交換し、僕がオーストラリアに来た後も僕らは交流を続けていたのでした。

ゆうすけさーん!来ちゃいました!

僕がその声のする方を振り向くと、手を大きく振りながら彼女が僕の方へと走ってくるのが見えました。
今まさにスポーツジムから出てきたばかりというような、相変わらずのスポーツ着に身を包んだ彼女は、満面に笑みをたたえて僕の前に5ヵ月振りに現れたのでした。
まったく変わらないお互いの様子を確認し合うと、僕らは久しぶりの再会に歓喜し、すぐにとりとめのないお喋りが始まったのでした。

オーストラリアはいいっすねぇ。気持ちがいい!気に入りました!

それより一週間ほど前に彼女はオーストラリアに語学留学生として来ていました。
僕とメールをやり取りしているうちに彼女はどうやら僕に触発されてしまったらしいのです。
僕よりいくつか年上の彼女はワーキングホリデーのビザを取得することは出来なかったので、語学留学の名目で留学生ビザを取得して来豪したのです。
彼女から語学留学で来豪する旨をその数ヵ月前にメールで知らされた時、僕は正直、本当に彼女がオーストラリアに来るとは思ってはいませんでした。

はははは。これも何かの縁ですよ。

彼女はそう豪快に笑って、以前から水泳大国であるオーストラリアに一度は来てみたかったことなどを僕に話してくれました。
彼女によると、彼女は英語の勉強にはまったく興味はなく、ただオーストラリアで泳いでみたかっただけで、それが30代のいい思い出作りになればよいと思って来豪したようなのでした。
そういう留学の使い方もあるんだな、と僕は少し感心しながら、また、それはとても彼女らしいと思いながら、彼女の話を聞いていました。

そういえば、ゆうすけさんが紹介してくれたあの仕事、ゲットしましたよ!

僕はそう言う彼女を驚きをもって見つめました。
彼女がオーストラリアに来たのはほんの一週間前のことです。
彼女がまだオーストラリアに着く前に、僕は求人サイトで水泳インストラクターを募集しているスポーツジムを見つけていました。そして、こんな仕事もあるみたいですよ、とそのリンクを彼女にメールで送っていたのです。しかし、まさか英語をまったく話さない彼女がその仕事を得られるとは思ってはいなかったのです。

よくわからないまま応募してみたら、話を聞いてみたいっていうようなメールが来たんで、さっそく行ってきました。
面接っていうより、プールで泳がせてもらっただけでしたけどね。

そのスポーツジムは、オーストラリア国内で一番人気のあるスポーツジムで、シドニー市内にもいくつも施設が点在していて、僕の友人の何人かもそこの会員でした。
水泳の指導歴も長く、アマチュアの水泳大会やトライアスロンの大会では常に上位に入賞している彼女の技術力は高く評価されて当然なのですが、屈託のない顔で、それにしてもオーストラリアのプールの水は冷たいっすねぇ、冷たすぎますよ、と言う彼女を僕は改めて感心せずにはいられないのでした。

僕は久しぶりに会った彼女から元気と勇気をもらいました。
考えるよりも、まずは実行すること。簡単のようでなかなか僕には出来ません。
けれど、彼女を前にすると、不思議と僕にもそう出来るような気がしてきます。
彼女にとって、オーストラリアに来たことや、異国の地で仕事の面接に行くことは、それ以上の意味は持っていないようでした。
彼女は物事に大袈裟な意味を与えることもなく、ありのまま受け入れてゆくことが出来る人でした。
僕はそれまで、オーストラリアにいる自分に重要な意味を与えようとして、それにことごとく失敗し続けていました。
日本を離れオーストラリアにいること。それにどれだけの意味があるというのでしょうか。単に生活の場が変わっただけ、と言ってしまえば、それだけのような気もします。

水着持ってきました?これから泳ぎに行きません?

そう尋ねる彼女に僕は大きく頷きました。
僕は彼女に以前のようにまた水泳を教わることが出来るのです。そして、水泳以外にも彼女から教わることはいろいろとありそうです。
僕は彼女がオーストラリアに来てくれたことを心から喜びました。
僕はまだオーストラリアをしっかりと泳げていないのです。あるべき自分の正しいフォームが分っておらず、もがいているだけなのです。
きっと彼女はそんな僕に正しい泳ぎ方を教えてくれるはずなのでした。

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2012年05月15日

プリーズと言わない人


仕事に復帰し、僕は久しぶりに日本語を使うようになりました。
考えてもみれば、オーストラリアに来て以来、僕は仕事をしている時以外は日本語を使うことはなかったのでした。
唯一の日本人の知り合いであるナミさんとは二人きりで会う機会はほとんどなく、常にエリックやダニエルが側にいたので、時々僕に通訳をしてくれるものの、彼女は僕にも英語で話し掛け、僕も彼女に英語で応えていました。
海外にいるのだからそれは当り前のことなのですが、それでも日本語を使わずとも生活出来てしまっている自分に、僕は驚かずにはいられないのでした。

ゆうすけ、英語上手くなったね。

久しぶりに会ったダニエルの友人が、ある日僕にそう言いました。彼女と最後に会ったのは、それより4ヵ月以上前のことで、僕がオーストラリアに来てまだ間もない頃のことでした。
いくら自分で毎日勉強をしていたとはいえ、たかが数ヶ月でそんなに僕の英語が上達するはずもなく、これはきっと彼女のお世辞だなと僕は思い、彼女の言葉を軽く聞き流していたのでした。しかし、そうした僕の落ち着いた態度も彼女を感心させる一因となったようなのです。
オーストラリアに来たばかりの頃、僕は語彙の足りなさを顔の表情や身振りで補おうとして、身体のあちこちを動かしていました。それは周囲にいる人達には少し滑稽に見えるくらい大袈裟なものだったようで、友人らはそんな僕の真似をして僕をよくからかっていました。しかし、そうした身体の動きは徐々に少なくなってゆき、それよりも先に単語やフレーズが自然と僕の口をついて出てくるようになっていたのでした。

僕もゆうすけの英語は上手くなったと思う。だって最近“プリーズ”って言えるようになったもん。

ダニエルによると、僕はそれまで“プリーズ”という単語を使っていなかったらしいのです。
“プリーズ”だなんて、そんな小学生でも知っているような単語を使っていなかった?
そんなことはないだろうと、僕は過去を注意深く振り返りました。しかし、確かに僕は、それまで“プリーズ”という単語を使っていなかったのでした。
タクシーに乗っても行く先を告げるだけで、その後に“プリーズ”は付けていませんでした。レストランで水を頼む際にも付けてはいませんでした。
一緒に住んでいたルークにも、今一緒に住んでいるダニエルにも、自分の伝えたいことだけを優先し、僕は誰にも“プリーズ”と言えていなかったのです。
僕は自分の犯していた間違いに今更ながら蒼白するのでした。

あ、でも最近は言えてるから大丈夫。少し前までは、おっかない司令官みたいだったけどね。

ダニエルはそう冗談を言って僕を慰めました。

いくら単語を覚えても、いくら文法を勉強しても、僕にはまだ基本の基本が出来ていないようでした。
少しばかり英語がスムーズに口から出てくるようになったとはいうものの、意識しなければ“プリーズ”も言えないだなんて、僕には人として人と接する基本が出来ていないようなのです。
英語が上手くなったねって言われて、いい気になっている場合ではありません。
僕にはまだまだ勉強することが山ほどあるようなのです。
僕の勉強は今始まったばかりです。
ぼろぼろになった文法書に、僕は“プリーズ”と鉛筆で書き足しました。
そしてそれは、その文法書の中で僕の一番好きな項目になったのでした。

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2012年05月14日

ビザの問題


以前働いた会社から連絡をもらい、再度その会社で働くことになった僕は、まるで休暇から戻った社員でもあるかのように同僚らに向かい入れられ、出勤初日から以前と変わらぬ様子で働き始めました。

ゆうすけくん、戻ってきてくれてありがとう。本当に助かるわ。豚の角煮作ったからあとで食べてね。

翌週から日本に1ヵ月ほど帰る予定の、あの少し騒がしい日本人女性が、僕にまたお弁当を作ってくれていました。
恐縮する僕に、彼女は相変わらずお礼を言わせてくれません。
彼女と一緒に働いていたのはほんの数週間でしたが、彼女は見事に僕のうちに浸透していて、2ヵ月のブランクを経ても彼女の存在感は僕の中で衰ることはなかったのでした。
彼女はまた、僕のいなかった間にチームリーダー的な役割もするようになっていて、チームの誰もが彼女に一目を置いているようでした。

ほら、あの人が他の部署に移っちゃったから、仕方なく私が出しゃばっているだけの話よ。

あの人とは、僕がここを去る少し前に産休から戻ってきたもう一人の日本人女性のことです。
どうやら彼女は昇進をして、今は別の部署で働いているようなのでした。
そして、彼女の穴埋めのために最近もう一人雇ったらしいのですが、その日は風邪を引いてしまっていたらしくお休みをとっているとのことでした。

私はね、ゆうすけくんを雇えってマネージャーに言ったのよ。そしたら、ビザの問題で正社員としては雇えないんですって。

それは仕方がありません。ワーキングホリデーのビザでは一雇用主の下で働ける期間が限定されているのです。
それでも僕は、彼女のその言葉をとても嬉しく思いながら聞いていました。
彼女は僕のことを少し買い被りすぎているようでしたが、誰かに認められるのはやはり嬉しいのでした。

それにしても、やはりビザの問題は大きいようでした。
この会社だけではなく、どの会社でもビザの問題が一番のネックになりそうなのです。
僕の履歴書を見て連絡をくれる派遣会社は増えました。しかし、ワーキングホリデーのビザではその先に進むことが出来なかったのです。

この会社は出さない方針らしいけど、ゆうすけくんなら、どこかの会社が労働ビザを出してくれると思うわよ。

僕はそれまで労働ビザのことを考えたことはありませんでした。何故なら、僕のように何のスキルも持たない者に労働ビザが下りるとも思えなかったし、また、労働ビザをスポンサーする会社はそれ相当のお金を負担することになるのだろうと思っていたからです。
スキルのない人をスポンサーするような、そんな物好きな会社があるとは僕には思えませんでした。

そりゃ、学校を出たばかりの若い人は無理かも知れないけど、ゆうすけくんなら実務経験もあるし、今だってこうしてITヘルプデスクで働けるだけのITの知識があるわけじゃない。
ゆうすけくんなら大丈夫。

この人と話をしていると、不思議と僕でも出来るのではないかと思ってしまいます。
こういう人と結婚すると、どんな人でも出世してゆくんだろうなあ。僕は彼女の話を聞きながらぼんやりとそんなことを考えていました。

労働ビザか・・・。
今度、派遣会社から電話をもらった時にダメもとで聞いてみようかな・・・。

豚の角煮が口の中でとろけます。
ゆうすけくんなら大丈夫。
どのくらい煮込むんだろうか。
ゆうすけくんなら大丈夫。
おいしいからレシピを貰って帰ろう。
ゆうすけくんなら大丈夫。

僕はその日、暗示に掛けられました。
その暗示は何の根拠もなく僕に自信をつけました。

僕なら大丈夫。

また大きな波が押し寄せようとしているのを感じました。僕は自信を持ってその波を待ち構えました。
僕は絶対にその波に乗らなければならないのでした。
その波に飲まれてしまえば、それまでです。

そして、その数週間後、その勝負の大波は僕の目の前にいよいよ姿を現したのでした。


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2012年05月11日

再就職


日本に帰国することはいつでも出来ます。けれど、一度帰国してしまとオーストラリアに再び戻って生活することはもうないと思われました。ならば時間の許す限りここに残って、日本にいては経験できないことを思う存分経験してみよう、僕はそう決心し、年が明けるとすぐさまそうすべく行動を開始したのでした。
ワーキングホリデーのビザの期限が切れるまで残すところ7ヵ月の時でした。

僕は就職活動を再開しました。
履歴書を新しく書き直し、それまでの誇大な表現を和らげ、新たにITヘルプデスクでの職歴を付け加えました。
年が明けたばかりの為か、求人サイトにはあまり多くの募集がありませんでした。僕はそのほとんどの求人募集に履歴書を送りました。
資金は来月には底をつきます。それまでになんとか仕事を得なければなりませんでした。

多分、2月にならないと、いい求人は出てこないと思うよ。

PCの画面とにらめっこをしている僕に、ダニエルがそう言います。
けれど、ワーキングホリデーのビザしか持たない僕に、職種を選んでいる余裕はありませんでした。
働かせてもらえるだけでも幸運なのです。
ほとんどの求人の募集には応募条件として「永住者」が挙げられていて、前回、就職活動をした時は、ワーキングホリデーと言っただけで電話を切られたことが何度もあったのです。

ただ、今回の就職活動は前回とは少し異なっていました。
僕にはITヘルプとしてオーストラリアで働いた経験があったのです。
履歴書を送った派遣会社からの電話には、多少の手応えを感じるものもありました。

ワーキングホリデーか・・・。でも経験はあるんですよね?
ちょっとクライアントに確認してみますね。

前回は確認すらしてもらえずに切られていた電話でしたが、今回の就職活動はいくらか僕に期待をさせる対応なのでした。
また、応募もしていない仕事を紹介してくれる派遣会社からの電話も受けるようになりました。
しかし、どの会社も長期で働ける人材を探しているようで、働く期間が限定されているワーキングホリデーのビザではやはり難しいようなのでした。

まあ、気長にやりなよ。仕事を得られるまで特別に家賃はタダにしてあげるから。

ダニエルはそう言って片目をつむり、僕の肩を軽くポンポンと叩きます。
本当にどこまでコイツはお人好しなんだろうか。僕は彼の好意を有り難く思うのものの、やはりそんな彼を呆れて見ずにはいられないのでした。
僕は正直、家賃をタダにして貰いたいと望んではいませんでした。また、家賃はしっかり支払い続ける気でいました。
ただえさえ安く住まわせて貰っている上、これ以上の迷惑は掛けたくありませんでしたし、やはり家賃を払うことによって自立した生活を送っていたかったのです。
無理矢理にでも家賃を受け取らせよう。僕はそう考えていたのでした。

しかし、その翌日に状況は一転します。
以前1ヵ月半だけ働いていた化学品メーカーの会社のマネージャーから僕は1通のメールを受け取ったのです。

もしよかったら、また1ヵ月半だけ働いてくれないか?

僕が辞める少し前に入ってきた、あの少し騒がしい日本人女性が1ヵ月ほど急に日本に帰らなくてはならなくなったそうで、その穴埋めをして欲しいとのことらしいのです。
また、僕なら安心と、その女性が僕を強く推薦してくれたらしいのでした。
僕は湧き上がる喜びを必死に抑えて、そのメールを何度も注意深く読み返しました。自分が間違ってその英語を理解していないかを何度も何度も確認したのです。
しかし、何度読み返しても、やはりそのメールは僕を再雇用したいという旨のメールなのです。

僕はその夜、仕事から帰って来たダニエルに何食わぬ顔をして家賃を支払いました。

えっ?いらないって言ったじゃん。いらないよこれ。馬鹿だな、仕事探しを優先しなよ。

少し不満そうにそう言うダニエルに、僕はにんまりと余裕の笑顔を見せつけてやりました。
最初、怪訝な顔をしていたダニエルですが、僕のちっとも動じない様子を見て、彼はようやく理解したようです。

マジで?仕事見つかったの?

僕とダニエルは一緒になって飛びあがり、喜びの悲鳴をあげました。そしてお互いの両手の平をパチンと高くに合わせるのでした。

僕はまた仕事を始めることになりました。
期間は短いとは言え、これでまた数ヶ月分の資金が調達できるのです。
求人が増える2月に少し余裕を持って次の仕事に向けての就職活動も出来るようになりました。
ビザが切れるまであと7ヵ月です。
派遣会社には多少手応えが出てきています。

どうにかなる。

さい先の良い新年のスタートは、僕に否応なしにそう思わせました。
その数ヵ月後、「どうにかなる」では済まされないほどの大転機が僕に訪れることになるとは、僕はその時、まだまだ知らずにいたのでした。


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posted by ゆうすけ at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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