2012年05月10日

海外に出て生活感が得られない人


クリスマスが過ぎるとすぐに大晦日がやってきました。やはり真夏のシドニーの年末は、ちっとも僕を年末の気分にさせません。
南半球の季節に慣れていない僕は、まだ7月くらいの気分でいたのでした。
また、その年はいろいろなことが僕の内と外で起こっていたので、いつもの一年間よりも長い一年間であったようにも僕は感じていたのかも知れません。

ゆうすけ、悪いんだけど、棚にあるシャンパングラスを全部洗っといてもらってもいい?
今日は3時には帰ってこれると思う。そしたら買い出しに行くから家にいてくれよ。

大晦日の朝、ダニエルはそう僕に言って仕事に出かけました。
その夜、僕らはホームパーティを開くことにしていて、15人ほどの友人らを招待していたのです。
僕らの住むマンションの屋上は解放されていて、そこからはオペラハウスやハーバーブリッジが一望出来ました。
新年の花火大会を見物するには絶好の場所なのでした。
それまでに誰かの家で開かれるホームパーティへ行くことは何度かありましたが、自分が主催者となってパーティを開くことはまだ一度もなかったので、僕は何をすれば良いのか分らず、ダニエルに指示されるままシャンパングラスを洗ったり、部屋を片付けたりしていました。
日頃からきれいに使っていたとはいえ、大勢の人を招待するとなると小さな汚れも気になるものです。僕は年末の大掃除のつもりでキッチンと水回りを中心に徹底的に掃除をしました。
自分の住む場所をこんなに掃除したのは生まれて初めてのような気がします。

げっ、なんか知らない人の家みたいになったね・・・。

2時過ぎに戻ったダニエルが、驚きながら部屋を見渡します。
それもそのはずです。僕は、それまでキッチンに出しっ放しにされていた洗剤やスポンジの他、トースターや炊飯器を棚に隠しただけではなく、風呂場のシャンプーや石鹸もシンクの下に放り込み、この部屋から一切の生活感を取り除いてしまっていたのです。
自慢気な顔をする僕に、やりすぎだってば、と言いいながらも、そのモデルルームのようになってしまった部屋にダニエルも満足しているようでした。

7時を回ると続々と招待客が現れました。
花火は9時と12時との2回打ち上げられるそうで、それまでの時間を部屋でおしゃべりをしながら過ごしました。
招待客全員のグラスの具合を見て、常に飲み物がグラスに入っているかに注意を払うのがホストの役目らしく、ダニエルはワインボトルを持って、ひっきりなしに招待客らのグラスにワインを注いで歩いて回っていました。
僕もおつまみを絶やさぬようチーズやクラッカーなどをプレートの上に足し続け、また、一人で会話からはぐれてしまっている人を見つけると声をかけて、その人の話し相手にもなりました。
パーティの主催者というものは休む暇もなく疲れるものなのでした。

9時近くになると一度みんなで屋上に上がり、9時の花火を観ました。
5分間ほどだったでしょうか。12時の本番の花火の前説のような感じで、観ている人達もそれほど期待を込めて観ているようではありませんでした。
屋上からは近くの公園に人だかりが見えました。
ダニエルによると、眺めのよい場所は朝の早いうちから陣取り合戦が行われているのだそうです。
新年の花火を観るためにたくさんの人達がシドニーに集まっているようでした。

僕らは一度部屋に戻り、12時に打ち上げられる花火を待ちます。
11時を過ぎると、他の家のパーティにも顔を出していた友人らも到着しました。
普段は2人だけしかいない部屋が大人数で埋め尽くされました。みんなは騒ぎ寛ぎ、そして大きな笑顔を作っていて、それは僕を喜ばせました。僕は他人の開くパーティに訪れる時とは違う、主催者ならではの人をもてなす楽しさを味わっていたのでした。

いよいよ12時近くになり、僕らはシャンパングラスを持って屋上に上がりました。
間もなくしてハーバーブリッジの中央に付けられた電光掲示板が点滅し、橋の横にはカウントダウンの数字が浮かびあがりました。

10、9、8、7、6、5、4、3、2、1!! ハッピーニューイヤー!!

全員で声を合わせてそう叫ぶと、たくさんの花火が打ち上げられ始めました。
ハーバーブリッジの上からも、市街地のビルの屋上からも、シドニー湾を挟んだ向こう側の岸からも花火は打ち上げられます。
後ろを振り向くと、丘の向こうにあるボンダイビーチから打ち上げられている花火も見えました。
花火は休むことなく打ち上げられ続けます。た〜ま〜や〜などと呑気な掛け声はかけていられないほどの勢いです。

ゆうすけ、明けましておめでとう。今年の抱負はもう決めた?

自分のグラスをチンと鳴らして僕のグラスに合わせると、ダニエルはそう僕に聞きました。
僕は既にその年の抱負を決めていました。

モデルルームのような生活はもうやめること。

僕はオーストラリアに来て以来、ずっと生活感のない生活をしていました。
それは気持ちの問題だったのですが、僕のオーストラリアでの生活には生活臭がなかったのです。
最初、僕はそれをオーストラリアに来てまだ日が浅いせいだと思っていました。けれど、それは誤りだったようなのでした。
僕は自分の気持ちをきれいに片付け過ぎてしまっていたようなのです。
僕はルークと一緒に住んでいたあの部屋も、ダニエルと一緒に住むこの部屋も、自分の部屋とは思いきれないところがありました。
海外でのほんの一時の仮住まい。僕はそう思って住んでいたのでした。
クリスマスの日に垣間見た、僕を取り囲むあの国境を取り除いてしまいたい、僕はそう思い始めていました。
招待されるばかりのパーティーに出席するよりも、もっとパーティーを主催したい、僕はそう思い始めていたのでした。

仕事を探して、もう少しオーストラリアに残ろうと思う。

僕はダニエルにそう答えました。
あたかも知っていたとでも言うようにダニエルが小さく頷きました。

花火はクライマックスを向かえ、大量の花火が一気に打ち上げられます。
その壮絶な眺めに目を奪われながらも、僕は決心しつつありました。

今年もまた長くなりそうだなぁ。

僕はそう思いました。
前年にも増して何やらいろいろと起こりそうな気がします。
僕は自分の人生の主催者です。主催者というものは本当に疲れるものなのです。
けれど、主催者にしか分らない楽しさがあることを僕は既に知っていて、それを辞めることはもう僕には出来ないのでした。

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2012年05月09日

目に見えない国境


オーストラリアでの初めてのクリスマスはとても暑い日でした。
北半球のクリスマスとは異なり、真夏のクリスマスです。
前日まで賑やかだったシドニーの街も、クリスマス当日はほとんどの店がシャッターを下ろし、しんと静まり返ります。
どうやらオーストラリアを含む欧米の国では、クリスマスは家族と過ごすものらしく、この時期は帰省する人が多いようでした。

その日は朝から暑く、冬のクリスマスしか知らない僕はちっともクリスマス気分にはなれませんでしたが、一緒に住むダニエルは、クリスマスに因んだ音楽を部屋中に溢れんばかりに流し、半分踊りながら楽しそうにキッチンでクリスマスパーティーに持ってゆくローストハムの仕上げに取りかかっていました。
オーブンからはハムの焼けるいい匂いがしています。
僕も、自分の担当するサラダの準備に取りかかり、ダニエルに負けじと腰をフリフリしながらトマトやキュウリをカットしてゆきました。

その1ヵ月ほど前からクリスマスパーティーの計画は立てられていました。
オーストラリア人のほとんどは家族と過ごすため、そのパーティーに参加するのは海外からの移住者が中心でした。
全部で10人ほどでしょうか。僕とダニエルの他、香港人、ベトナム人、アイルランド人、アメリカ人、マレーシア人、シンガポール人など、とても国際色豊かな集まりです。
そして、そのパーティには、参加者の各々が料理を一品持ち寄ることになっていたのでした。

キングスクロス駅からすぐのところにある友人宅がパーティの会場で、そこまで歩いてゆけるところに住む僕とダニエルは、少し早めに行ってパーティの準備を手伝いました。
マンションの9階に位置するその部屋のバルコニーからは、シドニー市街とハーバーブリッジが一望でき、いつ訪れてもそのパノラマの景色には圧巻されてしまいます。
僕はその景色を眺めていたくて、バルコニーに置かれたバーベキュー台で肉を焼くのを手伝うことにしました。

間もなくして、パーティーの参加者らが続々と到着しました。
オーストアリア人は2人だけで、その他の参加者は全員10年以上オーストラリアに住んでいる海外からの移住者です。
以前に会ったことのある人ばかりでしたが、こうして一度に会うのは初めてでした。
挨拶を終えると僕はバルコニーに戻り、肉を焼きながらそっと彼らの様子を盗み見していました。
オーストラリアへ来てまだ4ヵ月を過ぎたばかりの僕には、彼らの集まりが少し不思議に思えていたのです。
言葉も文化も違う国から来た人達が集まって楽しそうに会話をしているのです。
それは、仕事のことや最近観た映画のことなど、ごくありふれた会話でした。
持ち寄った料理も、郷土料理ではなく、以前どこかで見たことのあるパーティ料理ばかりです。
彼らにとって、オーストラリアはもう外国ではなくなっているようなのでした。
大分慣れたとは言え、僕にとってオーストラリアはまだ外国でした。会う人も、僕にとっては外国人でした。
しかし、彼らの中にそんな国境は見えないのでした。

肉は焼けました。けれど、僕には「肉が焼けたよ」と英語でなんと言えばいいのか分りませんでした。
僕は仕方なく、「お皿が必要」と叫びました。
この言葉の壁が無くなれば、僕にも国境がなくなるのでしょうか。
僕も彼らのように国境を意識しないでいられたいいなと思いました。

バルコニーからはシドニーの市街が一望出来ました。
手を伸ばせば届きそうなくらい近くに見えます。
けれど、実際に手を伸ばすとそれはとても遠くにあるのでした。

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2012年05月08日

世界共通語


12月に入り、南半球のオーストラリアに夏が来ました。
日本の夏とは異なり、湿度の低いシドニーの夏は暑いながらも過ごしやすく、夜ともなると冷房の必要性を感じられないほど涼しくなるのでした。
それでもひと夏に数日は冷房なしでは暑くて眠れない夜もあるのだとダニエルが教えてくれました。

12月に入って始まったダニエルとの共同生活は、それまで白人と暮らしていた僕にアジアの生活習慣を取り戻させました。
靴は玄関で脱ぎ、食事は箸で頂き、夕飯には白米を炊いて、そして、目玉焼きにはやはり醤油を掛けるのです。
ルークとの共同生活は、白人の暮らしを知るのにはとてもいい機会でした。荷物を両手に持っている時など、靴を履いたまま自室まで行けるのは便利でもありました。けれど、同じアジア人と暮らし始めてみると、つくづく自分もアジアから来た人間であると思わされ、食卓に醤油差しが置かれた生活の中に僕は落ち着きを覚えずにはいられないのでした。

仕事もせずに毎日を暇で弄んでいた僕は、しばしば食事当番を自ら申し出て、ダニエルの分の夕食を僕の分と一緒に用意することがありました。
高級住宅地でもあるエリザベス・ベイに、それまでルークに払っていた家賃と同じ額の家賃で僕を住まわせてくれることになった彼への感謝の気持ちもありましたが、なにより、白人のルークとは違い、僕と同じアジア人のダニエルとは食べるものが似たり寄ったりだったので、どうせ同じようなものを食べるのなら一度に2人分を作ってしまった方が効率がよく、また、それは楽しくもあったのです。
そのうちにダニエルも、週末や仕事で疲れていない日などは僕の分の食事を用意してくれるようになり、次第に僕らは常に2人分の食事を作るようになっていったのでした。

それまでのルークとの生活では、冷蔵庫の中に常に2人分の別々の食料品がありました。例えば、卵2パック、マーガリン2箱、オレンジジュース2本、ヨーグルト2箱、食パン2斤などです。
しかし、どんぶり勘定型の僕とダニエルは、それらについてこまごました割り勘もせずに、すべてを共有のものとして、もし切れたらどちらか先に気付いた方がそれを買い足す、という形をとっていました。
そのように決めたという訳ではないのですが、一緒に暮らしてゆく中で気が付いたらそうなっていたのでした。

やっぱりマヨネーズはキューピーだよねぇ。

2人とも味の好みも一致していましたし、お互いが常識を持って生活をしていたので、それら食材費に関して不公平に感じることはありませんでした。
そして、それは食料品だけに留まらず、やがて洗剤や整髪料などの日用品の多くも共有し始め、結局、共有しないものは歯ブラシと髭剃りくらいになっていったのです。

この生活様式はお互いに楽でした。
ただし、仕事をしていな僕の方が必然的に夕食を用意する日が多く、また、僕が日本から持ち込んだ整髪料や制汗剤などを好んで使っていたので、ダニエルは僕との共同生活を始めて以来、急速に畳化し始めたのでした。
外国人が日本人のようになってゆくことを「畳化する」と言うそうです。

今日は納豆が食べたいなぁ。

噂には聞いたことはあったらしいのですが、それまで食べたことがなかったという納豆を一度ダニエルに食べさせたところ、彼は意外にもその味をたいへん気に入ったのでした。
納豆以外にも彼の畳化の兆しはいくつかありました。
僕のMP3プレイヤーからMr.Childrenを知った彼は、いくつかMr.Childrenのアルバムをダウンロードして毎日のように聞いていましたし、それまでオーストラリア人っぽい格好をしていた彼ですが、いつのまにかユニクロの店員のような格好をして会社に行くようになっていました。

なんか、あんたと住むようになってからダニエル変ったわね。

ナミさんが怪訝そうな顔をして僕にそう言います。
もともと親日家だったダニエルは、僕と暮らすようになってから更にも増して親日家になってしまったようです。
僕がチノパンの裾を折って履くと、次の日にはダニエルが同じように裾を折っていたり、女の子と遊びに行く時は、僕のカバンを借りて出かけて行ったり、彼の畳化は日ごとに色濃くなってゆくのでした。
ナミさんは冗談に呆れた顔を大袈裟にして見せて僕らを笑わせました。

そんな僕もダニエルに影響されていました。
異文化の中で長年生活している彼は、自国の文化とのバランスを取って上手に生活していました。
無理に自分をオーストラリアの文化に染めるのではなく、自分が心地の良いと思える場所を見極め、オーストラリアの文化をそこに取り入れて生活をしているのです。
彼には精神的に大人の友人がたくさんいました。自分をしっかり持った人達です。
彼らは他人に媚びることもしなければ、他人を見下したりすることもありません。
しかし、彼らは嘘を言う人にはとても敏感です。自分を持たずに異文化にただ染まろうとしている人や、理解している振りをして頷くばかりの人には見向きもしません。
自分の芯をしっかり掴んでいれば、言葉も文化も違う国でも多くの友人を持つことができることをダニエルは僕に教えてくれました。
世界共通語は自分の中にあるのです。

なあ、ゆうすけ、今日さ、君のあの帽子借りてもいい?

いくら日本人の格好をしようとも、ダニエルは日本人のようになりたいとは思ってはいません。彼は彼でありたいと思っているのです。
だから、急速に進む彼の畳化を見ても、僕とナミさんはそれをただ微笑ましく思うだけで、彼を馬鹿にすることも嫌いになることもないのです。
その文化に飲み込まれずに、また拒絶せずに、自分が自分自身でありながら心地よくその文化の中で生活すること。
きっとそう決めた訳ではなく、ここで暮らしてゆく中で気付いたらそうなっていただけなのかも知れません。
ダニエルと一緒に住んでいると、決して容易でないはずのそれがとても容易なことのように思えるのでした。

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2012年05月04日

思い出となりつつある海外での新生活


引っ越し当日。僕とルークは朝から大忙しでした。
午後1時にクリーニング業者が部屋を掃除に来る予定だったので、僕らはそれまでに部屋を空っぽにしておく必要がありました。
僕の荷物はダニエルの車へ、ルークの荷物は彼の弟が借りてきたトラックの荷台へと、次々と僕らは荷物を運び出しました。
古い建物のためエレベーターはありません。僕らは3階までの階段を何往復もしなければなりませんでした。
洗濯機や冷蔵庫などの大きく重い荷物は図体のでかいルーク兄弟2人に任せ、僕とダニエルは、白人ってこういう時便利だね、って舌を出しながらこまごました段ボール箱などを運び出しました。

お昼近くになり、ようやく僕らはすべての荷物を運び出すことが出来ました。
お腹はペコペコです。
ダニエルとルークの弟は、この暑い中、何度も階段を上ったり下りたりさせられぐったりとしていました。
2人はトラックの荷台に座り込んで、僕とルークが奢ることになっていた昼食をどこで摂るかを相談しているようでした。

僕は最後の確認をしに、部屋に戻りました。
天井の高い部屋は、すべての荷物がなくなると、余計に広く見えるのでした。
たったの3ヵ月ほどしか住んでいませんでしたが、空っぽの部屋は僕を少し寂しくさせました。
僕がこの部屋に初めてやって来た日のことや、ルークと飲みつぶれるまで飲んだあの日のことが、もうすでに思い出になろうとしていました。

ふと気付くと、僕の隣りで、ルークが同じように感慨深く部屋を眺めていました。
数年ここに住んでいたルークの目には、ことさら寂しく映ったのでしょう。
2人は黙ったまま部屋を眺めていました。

これからだね。

暫くしてルークが部屋を眺めたまま僕にそう言いました。
もしかしたら、彼は自分自身にそう言い聞かせていたのかも知れません。
32歳で専門学校に通うことに決めた彼には、これから何かが始まろうとしていました。
初めて会った時は少し頼りなさそうに見えた彼ですが、先ほどまで弟を指示して荷物を運ぶ姿や、こうして僕の横で堂々としている姿は、僕より随分と大人に見えたのでした。

うん、そうだね。これからだね。

僕は彼に頷きました。
この部屋を出ることによって、僕はオーストラリアでの第一章を終えるのです。そして、これから第二章を始めようとしているのです。
何がどう始まるのかは分りません。けれど、僕には何か始まるような予感がするのでした。

なぁ、腹減ったよ。早く何か食いに行こうぜ。

僕とルークがその声のする方に振り向くと、ダニエルとルークの弟が待ちくたびれたように玄関から顔を覗かせていました。
感傷に浸る時間はもう終わりのようです。
僕とルークはもう一度顔を見合わせました。そして、お互いの右手をがっちりと顔の正面で組みました。
2人の間に生まれた共通の意思を確かめ合うように、僕らはその右手に力を込めました。

がんばれ。

僕は心の中でそう彼に声援を送っていました。
彼もきっと同じように僕に声援を送っていたと思います。

短かったけれどもとても素晴らしかったルークとの共同生活を、僕はこうして終えたのでした。
そして、これから始まるオーストラリア生活第二章に向けて、僕はまた新たに一歩前に進んだのです。

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posted by ゆうすけ at 10:23| Comment(4) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月03日

海外生活 一年後の自分


引っ越しを翌日に控え、その夜、僕とルークは部屋の片付けに追われていました。
そのほんの3ヵ月前には、スーツケース一つにすべての荷物が収まっていたので、僕は一時間もあれば自分の分の荷造りは終えられるだろうと考えていました。しかし、僕の荷物はいつの間にか増えていて、僕は部屋を片付けるどころか、部屋中を自分の荷物で散らかしてしまっていたのでした。
ベッドの上にはビジネスシャツが何枚も広げられ、床の上には開いたスーツケースとその横に座り込む僕があり、その周りには、ダニエルとナミさんが持ってきてくれた中古の電気スタンドや、ステレオ、小型のセラミックヒーターなど、絶対にスーツケースに収まるはずもない物が散らばっているのでした。
キッチンとリビングの荷造りを早く手伝ってもらいたいルークは、僕の様子を伺うために何度も僕の部屋を覗くのですが、そのたびに彼は首を横に振って、ダメだこりゃ、というポーズを、恨めしそうに床の上から見上げる僕に見せつけるのでした。

それでも僕は、自分の分の荷造りを数時間掛けてなんとか終えることが出来ました。荷造りというよりは、荷物を部屋の隅に積み上げた、といった具合でしたが、ダニエルが翌日車で迎えに来てくれると言っていたので、彼の車に積んでさえしてしまえば、あとはどうにかなりそうでした。

自分の部屋を片付け終え、僕が段ボール箱だらけのリビングを覗くと、ルークがソファの上でビール瓶の栓をひねっているところでした。
どうやら彼もくたびれてしまったようです。
キッチンの戸棚や引き出しには皿や調味料などがまだそのまま残っています。
数は少ないので、僕も冷蔵庫からビールを取り出し、一息ついてから作業を再開することに決めました。

疲れたね。

僕がソファーにどっかりと腰を下ろすと、ルークが僕にそう言いました。
僕は彼の言葉に頷きながら、これが今年で2回目の引っ越しであることを思い出すのでした。
7月の終わり、僕はそれまで住んでいたマンションを引き払い、実家に数週間身を寄せた後オーストラリアに来たのでした。
そしてその4ヵ月後、僕はまた引っ越そうとしているのです。
引っ越しは本当に疲れるものです。

これからどうするの?

いつもなら、そういった質問に“とりあえず、新年の花火大会を見て、それからどうするか決めるよ”と答えるはずなのですが、その時は、さあ、とだけしか僕は言えませんでした。
僕は引っ越しの荷造りで疲れていたのです。
ようやく住み慣れたこの部屋を出ていかなければならず、僕は嘘をつくには疲れ過ぎていたのです。
正直、花火大会はオーストラリアに残るための単なる口実でした。僕にとって、花火大会なんかは本当はどうでもいいことなのでした。

僕は自分の荷物に囲まれながら、1年後の自分はどうなっているのだろうと考えていました。
スーツケース一つから始めたにも関わらず、たったの3ヵ月半でこれだけの荷物になったのです。
僕は花火大会なんかよりも1年後の自分のほうがよほど見てみたいのでした。

ゆうすけなら、どうにでもなるような気がする。君はどこでも生きてゆけるよ。

ルークは、僕が日本で死んでいたことも知らずに、そんなことを言うのです。
彼は、自分が僕に再び命を吹き込んだ一人だとは気付いていないのでした。

7月の終わりにマンションを引き払う時、僕は自分の人生に、もしそれが大袈裟だと言うのなら、少なくとも僕は自分自身に疲れていました。
自分ではどうにもできず、僕は日本を後にしました。
そしてオーストラリアに辿り着き、その疲れは、ここで出会った人たちによって急速に癒されていったのです。
ルークはそんな恩人らの中の一人でした。
僕はそれを彼に英語で説明できる自信もなく、また、照れもあったので、彼には何も言わずにいましたが、僕は心から彼に感謝をしていました。

ありがとう。

オーストラリアへ来て、僕は再び引っ越しをしようとしていました。
引っ越しはとても疲れるものです。僕はもうくたくたです。
けれど、今回の引っ越しの疲れは、たったビール一本で吹き飛んでしまうくらい軽いものなのです。

よっしゃ、さっさと片付けちゃおうか。

僕はそう言って、横で疲れた顔をしているルークを無理やりソファから起こし上げ、残りの荷造りに着手するのでした。

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posted by ゆうすけ at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ワーキングホリデー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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